1907年の創業以来、お客様本位/品質本位の姿勢に基づいて飲料事業を中心に展開してきたキリングループですが、市場環境が大きく変化する状況に鑑み、より新たな価値創造を行っていくため、2013 年に国内綜合飲料事業の地域統括会社としてキリンを設立しました。キリンビール、キリンビバレッジ、メルシャンの 3 社が一体となり、商品や事業の枠を超えた価値を提案し、キリン独自のブランドを構築していくことを目指しています。

そうした変化の時代にあって、情報部門は何に力を入れていくべきなのか。現在、当社では「業務がわかる IT 人材」と「IT がわかる業務人材」の育成を進めており、IT のコア機能を扱う内部要員の拡充に務めています。逆にこれまで内部要員を充てていたシステム開発や保守/運用については子会社のキリンビジネスシステム(KBS)や戦略パートナーに任せていく方針です。

クラウドに関しては現在、システム更改や新システム構築といった開発案件の検討項目に必ず入っています。現在の方針としてはシステムの種類やコスト、セキュリティなどの条件を照らし合わせながら、オンプレミスとクラウドを使い分けていく共存タイプを適用しています。

当社は飲料という人間の生活、生命の維持に欠かせない商品を扱っています。2011 年 3 月の東日本大震災ではあらためてそのことを実感しました。以来、キリングループでは BCP (事業継続計画)への取り組みを刷新し、「被災地域において不足する飲料を政府 / 流通と連携しながら迅速にお届けすること」「被災地域以外のお客様に主要ブランド商品をいつも通りお届けすること」を基本的な考え方に据え、物流だけでなく IT 部門においてもこれに沿った BCP 対策を取ってきました。現在は 72 時間の停電にも対応できる東京のデータセンター(東京 SC)に加え、ディザスタリカバリのためのデータセンターを大阪(大阪 SC)に置いています。

東京 SC で稼働させている物流系基幹統合システムやメールシステムなどは大阪 SC とリアルタイムでデータを同期させています。ですが同じく東京 SC で稼働させていた仮想デスクトップシステムのディザスタリカバリ環境をどう構築するかが問題になりました。

2012 年から運用している当社の仮想デスクトップシステムは、国内 220 拠点で 1 万 5000 人のユーザが利用しています。当社の社員は業務上、飲酒をせざるを得ない状況に置かれることが多いため、万が一の紛失を防ぐため、一時は PC の外部への持ち出しを禁止していたのですが、やはりそれでは業務に支障が出てしまいます。そこで仮想デスクトップシステムの導入が図られたのですが、結果として産休中の社員などにも利用してもらえるようになり、導入効果は高かったと思っています。

この仮想デスクトップシステムのディザスタリカバリ環境も当初、他の基幹システムと同様にオンプレミスで大阪 SC に構築する予定でしたが、ここでコストが大きな問題となりました。BCP 対策の難しい点のひとつが通常運用におけるコストをいかに小さくするかです。RTO を可能な限りゼロに近づけなければならない基幹システムやメールと異なり、仮想デスクトップシステムのデータをリアルタイム同期させておくということは、社員につねに PC を 2 台もたせているようなもので、非常に無駄が多い。もっといえば、通常運用時はディザスタリカバリ用のサーバはすべて停止状態でかまわないわけです。東京 SC がダウンしたとき、即時に切り替えられる環境さえあればよいなら、コスト的に見てパブリッククラウドがベストな解決策になるのでは、と考え、2014 年 7 月に検討を開始しました。

「すぐに環境が立ち上げられ、容易に試すことができるというのはこれからの開発の主流となるアプローチではないでしょうか。」

- キリン株式会社 情報戦略部 主査
桝田 浩久 様

AWS の採用を決定したのは検討開始から 1 カ月後の 2014 年 8 月です。早急に決めることができたのは、すでに Gartner のマジッククアドラントなどでも示されているように、クラウド市場における AWS の優位性が圧倒的だったこと、スケーラビリティについても十分であったこと、さらに当社の最大の懸念であったコストに関しても最小化できるという試算になったからです。また、当社の BCP 対策は首都圏の震災を想定しているため、東京電力管轄外にあるリージョンを選べることも重要なポイントでしたが、グローバルにリージョンを展開している AWS にはその心配はなく、プライマリにシンガポール、セカンダリに米国(オレゴン)を選択することができました。

クラウドを採用する際、必ず言及されるセキュリティですが、まずインターネット上の不正アクセスには VPC を利用することでクリアできます。また、業務データはすべてオンプレミス上に配置されており、AWS クラウド上に構築するのは仮想デスクトップのバックアップ環境のみです。東京 SC がダウンした際は、シンガポールの AWS クラウド上にある仮想デスクトップ環境が起動し、大阪 SC に同期された業務データを読み込む仕組みになっているため、クラウド上に業務データは置かれません。これは個人的な意見ですが、クラウドの導入がこれほど進んだ以上、クラウドのセキュリティに対するエモーショナルな不安は、すでにロジカルに説得できるレベルに達しているのではないでしょうか。

今回、仮想デスクトップのディザスタリカバリ環境における通常運用コストを最小限に抑えるため、AWS のオンデマンドインスタンスを選びました。事前の支払いが発生せず、利用時間に応じて課金されるという料金体系は当社のニーズに非常に適してたと思っています。

ただしオンデマンドインスタンスの場合、利用するサーバーは起動時に確保されるという制限があります。したがって、起動時に必要なサーバー数を確保できないというリスクを回避するため、メインリージョン(シンガポール)のほかにセカンダリリージョン(オレゴン)を利用することにしました。被災時にメインリージョンの 2 つのゾーンでも必要なサーバー数が起動できなければ、セカンダリリージョンで起動する仕組みです。セカンダリリージョンに Amazon Machine Image (AMI)を事前格納していないため、追加費用はいっさいかかっていません。

オンデマンドインスタンスだけでもかなりコストを削減できましたが、さらに最小化するため、通常時は Amazon EC2 インスタンスを停止させておき、マシンイメージである AMI のみを Amazon EBS に保存しする方法を取っています。こうすることで、通常時は Amazon EBS 上に AMI を保管する料金を支払うだけでよく、被災時には AMI から複数の Amazon EC2 インスタンスを起動することができます。また監視システムも同時に AWS クラウド上に構築しましたが、ロードバランサーに選んだElastic Load Balancing も監視用の Amazon CloudWatch も通常時は起動させないので料金は発生していません。

処理能力に関しては通常時の 75 % に設定しました。理由は首都圏が被災した場合、稼働できる社員の数が相当数減ることが予想できるからです。それを踏まえると 75 % 程度の処理能力は現実的な数字だといえますし、ここを抑えた設定にしたことでさらなるコストカットが実現できています。

このシステム構築において最も懸念していた点が、シンガポールリージョンを採用したことによるレイテンシーでした。一般的に仮想デスクトップシステムで許容可能なレイテンシは 120 - 150 ミリ秒と言われています。しかしシンガポールでも約 80 ミリ秒、セカンダリリージョンのオレゴンでも 200 ミリ秒程度で、デスクトップの操作には大きな支障がないことが検証段階で判明しました。予想以上に高いパフォーマンスに非常に満足しています。また RTO に関しても、被災時に約 100 台のサーバーを起動するのにかかる時間が心配されていましたが、起動の自動化を図ったことで当初の目標の 85 分を大幅に上回る 63 分での起動を実現しています。少なくともメールの処理などを行うにはまったく問題のない体感速度だといえます。

他の BCP 対策と並行しながら進めていたこともあり、本番稼働は 2015 年 2 月からでしたが、このシステム自体は 2014 年 11 月に環境構築/テストが済んでいました。このシステム構築にかかった初期費用は 1 億円ほどですが、本番稼働後の通常運用では、Amazon EC2 インスタンスも ELB も停止しており、ネットワーク通信も発生しないため、月額 1 万円程度のランニングコストで済んでいます。専任の運用担当者も置いていないため、人的リソースという面でもコストを大きく削減できていると実感しています。もし仮にオンプレミスでこの環境を構築していたら初期費用 4 億円、年間 7,000 万円のランニングコストが発生したはずですから、コスト削減効果は本当に大きい。もちろん被災時には相応の費用が必要になりますが、通常時に月額 1 万円のランニングコストを実現できたのは AWS クラウドならではだと思います。

ディザスタリカバリ環境のように、通常はスタンバイ状態でコストを抑え、必要時に少ない手順ですみやかに稼働させたいシステムには、クラウドは非常に適しています。AWS であれば海外リージョンを利用してもレイテンシーにさほど大きな違いがないことも評価できる点でしょう。

今後、当社でもクラウドの採用は増える傾向にあると見ていますが、とくに開発環境での活用は有効だと考えています。やはりすぐに環境が立ち上げられ、容易に試すことができるというのはこれからの開発の主流となるアプローチではないでしょうか。

AWS に今後期待する点としては、迅速な災害対策を推し進めるという意味で、国内にも東京以外のリージョンも設置してほしいと考えています。また、AWS マネジメントコンソールの日本語化をさらに進めていただき、日本円での請求書発行も可能になればよいと思います。こうした日本の商習慣に寄り添うサービス提供をさらに進めていただければ、AWS クラウドはさらに身近な存在になると思います。

2011 年の震災から 5 年近くが経ちますが、度重なる地震や洪水など、日本は本当に災害が多い国です。ディザスタリカバリの重要性は高まることはあっても、関心が薄れることはありません。2011 年の震災では当社の物流にも大きな混乱が生じました。そのときの反省を踏まえ、現在は物流だけでなく IT システムも非常時に対応できるよう、定期的な BCP 対策訓練を実施しています。飲料という人々の生活に欠かせないものを扱っている以上、どんなときでも商品を安定して供給できる体制をつねに整えていなければならない、そのミッションを達成するためのパートナーとして、AWS クラウドにはこれからも期待しています。

 

- キリン株式会社 情報戦略部 主査 桝田 浩久 様