「AI 現場監督『安全ヨシ!』」― AI に見守られながら作業する、フィジカル AI 時代のエッジ × クラウド
2026-09-02 | Author : 牧 梨乃, 澤田 友哉, 久米 大雅, 伊藤 健史
はじめに
新しく現場に入った人が、一人で作業を任されるようになるまでには、けっこうな時間がかかります。手順書を渡して終わり、にはできません。「その装置は電源を落としてから開ける」、「その工程では絶縁手袋をつける」。書いてあることは正しいのですが、書いてある通りにできているかを見てくれる人が、しばらくは横についている必要があります。新人でも、他業種からの中途採用の方でも、事情はあまり変わりません。
つまり、ベテランが一人、育成のために現場に張り付くことになります。これは安全のために必要なコストです。ただ、そのベテランは本来なら別の仕事ができた人でもあります。教育と業務の両方を回そうとすると、どうしてもここで人手が足りなくなります。しかも、付き添う人が変わればアドバイスの粒度も変わります。
だったら、その「横について見ていてくれる人」の役を、AI にやってもらえないだろうか。私たちが作ったのは、そのようなデモです。作業する人の手つきをじっと見て、危なければその場で声をかけ、正しくできたときだけ「安全ヨシ!」と認めます。ちょっと口うるさい、でも見ていてくれる現場監督、みたいな AI です。
AWS Professional Services の 4 人 で開発し、AWS Summit Japan 2026 の Builders' Fair (A082 ブース) に出展しました。名前は「AI 現場監督『安全ヨシ !』」です。保護具の着用有無を確認するだけであれば、AI にとっては簡単な作業です。私たちが目指したのは、その先にある体験でした。
本記事では、AWS Summit Japan 2026 Builders' Fair に出展した「AI 現場監督『安全ヨシ !』」のデモを通じて、そのアーキテクチャ・設計思想・体験設計を紹介します。エッジ上の視覚言語モデルが作業の前後文脈を読み取りリアルタイムに危険を警告する「親方」役と、Amazon Bedrock が記録全体を再監査し採点する「振り返り」役を二層で組み合わせることで、新人育成時のベテラン不足という現場課題に挑みました。
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AI に見守られながら作業する
来場者には、未来の工場に入った新人作業員になってもらいました。作業台にはウェブカメラが設置されており、その正面のモニターに作業手順が表示されました。来場者は、その手順に沿って操作板を順番に操作していきました。
実際のデモ
ブースでは待ち時間の都合上、タイムアタック形式にして順位を競ってもらいました。
手順を AI が判定
手順を正しくたどれたと AI が判断すると、緑のランプが灯り、スピーカーから「安全ヨシ !」という声が流れます。一方、手順を飛ばしたり、電源が入ったままの盤にうっかり手を伸ばしたり、手順とは異なるスイッチを ON にしたりすると、パトライトが赤く回転し、AI がすかさず声をかけます。「ちょっと待った、順番が違います」。会場では、この赤いパトライトに笑いながらも、緑の「安全ヨシ !」に小さくガッツポーズする人が、次々と現れました。
(写真 : 正しい手順で作業した結果、パトライトが緑に光った瞬間)
二層の AI とランキングの仕組み
この仕組みにおいて、AI は 2 か所で動いています。手元で即座に判定する AI と、AWS 上であとから見直す AI です。判定結果と作業ログは、AWS 上で稼働しているランキングアプリに送られます。
ひと通り作業が終わると、AWS 側の生成 AI が画像とログをまとめて見直し、スコアを再算出します。確定したスコアは、大型モニターに「本日の優秀安全作業員ランキング」としてリアルタイムに表示されます。安全に作業するほど、ランキングの上位に近づく仕組みです。怒られるゲームではなく、勝ちにいくゲームです。
(写真 : 左にエッジとクラウドの構成図、右に安全スコアのランキング画面を表示した 2 つのブラウザ画面)
なぜ従来の画像認識では足りなかったのか
現場に AI の目を持ち込む試みは、今回が初めてではありません。10 年ほど前から、ディープラーニングによる画像認識をカメラのすぐ横に置いて、その場で判定させる方法が広く使われてきました。撮った映像をどこかに送って返事を待つのではなく、現場の機械の中で完結させます。いわゆるエッジでの推論です。軽くて速く、通信帯域が細くても止まりません。ヘルメットをかぶっているか、保護メガネをつけているか。こうした「写っているか、写っていないか」の判定は、この方式がとても得意な領域でした。
ところが、私たちが見たかったものは、この延長では捉えられませんでした。現場の安全ルールの多くは、「A の状態のときに B をしてはいけない」という形をしています。装置の電源が入っている状態でカバーを開けてはいけません。しかし、電源を落としてからカバーを開けるのは、まったく正しい手順です。つまり、カバーを開ける動作そのものは、どちらも同じです。安全か危険かを分けているのは、その直前に何が起きたか、いまどういう状態なのか、という前後の文脈でした。
写っているモノを一枚の絵として分類する方式は、この時間的なつながりを扱うのが苦手です。新人がやってしまう「うっかり」の多くは、まさにこの文脈の側に潜んでいます。
(図 : 従来の画像認識と視覚言語モデルを 4 つの観点で比べた表。従来手法は 1 枚の写真からラベルを返し前後の文脈が読めないが、VLM は時間差のある複数の写真を見て言葉で答え、電源を切らずに触っているかまで読める)
VLM で文脈を読む
そこで今回は、視覚言語モデル (VLM) と呼ばれる種類のAIを使いました。映像を見て、言葉で答えてくれるモデルです。使用したのは、NVIDIA が公開している「Cosmos-Reason2-8B」というモデルです。現実世界の映像を扱うために学習されたモデルで、これをカメラの横の機械の中、つまりエッジで動かしています。
やることは、モノの分類ではありません。「電源が入っているように見えるのに、保護具なしで触ろうとしている」という、状態と動作の関係を解釈させ、言葉で答えさせます。ここが「安全ヨシ !」を言わせる心臓部です。エッジで軽く速く動くという、10 年かけて積み上がってきた良さはそのまま残しつつ、前後の文脈まで読み取れます。この 2 つが同じ場所で成り立つようになったことが、今回いちばん面白かった点でした。
なお、ライセンスは NVIDIA Open Model License で商用利用が可能ですが、公開モデルを業務で使用する際は、利用規約とライセンス条項をご自身で必ずご確認ください。
やらせてみたら、読めた。でも、そのままでは使えなかった
VLM に安全ルールを言葉で渡し、「危ないときだけ教えて」と頼むと、文脈はしっかり読み取れました。たとえば、電源が入っていると仮定した盤に手が伸びれば、止めてくれます。ここは正直、想像以上でした。
ただ、そのまま現場でそのまま使えるかというと、そうではありません。ここからが試行錯誤でした。現実世界を扱うために学習されたモデルとはいえ、パラメータの設定次第で挙動がまるで変わります。判定を細かくすれば精度は上がりますが、その分だけ返事が遅くなります。遅くなれば、「危ない」と言う前に手が届いてしまいます。精度と速度のどちらを取るか、そのつり合いを見つけることに、いちばん時間を使いました。
現場の親方と、本社の監査
ブースでこの構成を説明していると、製造業の方から「それ、全部 AWS 上でやってもよくないですか」と何度も聞かれました。正直、私たちも最初はそう考えていましたが、それでも 2 つに分けました。理由はレイテンシーとオフライン耐性ですが、実際にその線引きをしてみたところ、それが現場の育成の役割分担と綺麗に重なっていました。現場で新人を育てるとき、実際には 2 種類の人が関わります。ひとつは、横についている親方です。危ないと思った瞬間に「待て」と言います。ここは即応が命なので、迷っている時間はありません。もうひとつは、あとから作業を振り返って評価する人です。どこがよかったのか、なぜダメだったのかを、落ち着いて全体を見て、丁寧に伝えます。このデモでも、同じように分けました。
親方の役は、エッジが担います。 電源が入った盤に手が伸びた瞬間に警告が間に合わなければ、意味がありません。そのため映像の解析も、音声の警告も、パトライトも、すべて手元の機械の中で完結させました。通信が切れても、警告は止まりません。
振り返って評価する役は、AWS 側が担います。 判定ログと画像は、作業を止めない形で AWS へ送られます。作業が終わると、Amazon Bedrock のマルチモーダル生成 AI が記録全体を見直し、「途中で一度手袋を外していないか」といった、その瞬間だけを見ていては気づけない矛盾まで洗い出して、確定スコアを出します。現場で怒られるだけでは、人は育ちません。なぜダメだったのか、どこはよかったのか。そこを丁寧に返すのが、本来メンターや指導係に求められる仕事です。今回はデモなのでスコアという形にしましたが、この「あとから丁寧に返す」役を機械が肩代わりできるなら、親方の負担はかなり軽くなります。
即応が要る判断は手元で行い、腰を据えた判断は AWS 上で行います。この線引きは、AI 特有の話ではなく、人の教え方をそのまま写しただけです。
(図 : 親方役のエッジとクラウドの役割を 4 つの観点で比べた表。エッジは危険な瞬間に声とパトライトで止め、通信が切れても止まらない。クラウドは作業後に記録を通して読み 、前後の矛盾まで見つけて採点する)
「怒られるだけ」では、人は育たない
監視カメラが現場で嫌われるのは、たいてい減点しかしないからだと思います。見張られて、ダメ出しされて、うまくやっても何も返ってきません。これでは、守らされるルールにしかなりません。
だからこのデモは逆にしました。正しい手順を踏むほど高得点が記録され、ランキングで称えられます。しかも、その場の判定だけでなく、あとから記録全体を見直した AI が「本当に安全だった」と裏づけるので、スコアに説得力が出ます。安全に作業するほど、ヒーローになれます。演出のようでいて、これは人が使い続けてくれるための設計だと思っています。
技術がどれだけ正確でも、見られている側が前向きになれなければ、手順書と現実のあいだの隙間は埋まりません。
どう動いているのか
ここから先は、興味のある人向けに、中身を少しだけご紹介します。エッジ側は NVIDIA Jetson AGX Orin 一台です。この上で視覚言語モデル Cosmos-Reason2-8B が 3 秒ごとに映像を見て、危険か安全かを判断します。危ないと判断したら、その場で音声合成が警告を読み上げ、パトライトが回ります。ここまでが手元で完結し、AWS 側には判定時のスナップショットと判定ログだけを送ります。AWS 側は、そのログと画像を Amazon API Gateway から AWS Lambda で受け取り、暫定スコアを Amazon DynamoDB に、画像とログを Amazon S3 に時系列で保管します。作業が終わると Lambda 関数 が Amazon Bedrock を呼び、マルチモーダル生成 AI に記録全体を再監査させて確定スコアを出します。確定スコアは Amazon CloudFront 経由でランキング画面に流れ、ブースの大型モニターに映る、という流れです。命に関わる判断を通信状態に依存させず、監査に耐える記録はクラウドで俯瞰します。二層に分けた技術的な理由は、ここに尽きます。
これから ― フィジカル AI が現場を回る日
今回作ったのは、決まった作業台をカメラが一台で見張る、ごく小さな仕組みです。ただ、この延長線上には、もう少し先の風景があると思っています。
前後の文脈まで理解できる AI が、車輪や脚を持って現場を巡回するようになったら、どうなるでしょうか。手順がきちんと定まっている工程を、自分で回りながら確認していきます。異常だけを持ち帰ります。実世界で判断し、行動する AI ―― フィジカル AI と呼ばれる領域が向かっているのは、そういう方向です。そうなれば、親方が一人ずつ横に張り付く必要は、さらに減ります。人は、機械に任せられない判断のほうに時間を使えます。
今回のデモは作業台一台ぶんでしたが、「見守る」を機械に持たせられるとわかったこと自体が、その先への一歩でした。
おわりに ― 「見ていてくれる人」を、増やす
手順書は、たいてい正しく書かれています。それでも新人が一人立ちするまでのあいだ、誰かが横で見ている必要があります。その「見ていてくれる人」は現場で最も貴重な人で、だからこそ、いつでも足りません。前後の文脈を読めるエッジの AI は、ここにもう一つの目を差し込めるかもしれません。
危ないときは手元の AI がその場で止め、終わったあとに AWS 側の AI が丁寧に振り返ります。この分け方は、安全の見守りに限りません。外観検査、手順の標準化、作業記録の証跡化。同じ形の課題は、製造プロセスのあちこちにあります。
「AI 現場監督『安全ヨシ!』」は、AWS Summit Japan 2026 の Builders' Fair A082 ブースで展示しました。会期は終わりましたが、動いている様子は冒頭の動画でご覧いただけます。あなたの現場の新人は、いま誰に見守られているでしょうか。自社の安全・検査・育成の課題に重ねながら、まずは映像でのぞいてみてください。
筆者プロフィール
牧 梨乃
アマゾンウェブサービスジャパン合同会社
プロフェッショナルサービス本部 AI/ML コンサルタント
2024 年 4 月に入社しました。普段は生成 AI を中心に、AI/ML 技術を業務フローへ組み込むための設計・開発を行っています。「お客様に刺さるアプリケーション」を目指し、PoC で終わらせず、お客様の現場で実際に使える形まで落とし込むことを支援の軸としています。
澤田 友哉
アマゾンウェブサービスジャパン合同会社
プロフェッショナルサービス本部 シニアデータサイエンティスト
普段は生成 AI やエージェント AI、コンピュータビジョンを使って、お客様の"現場で動く AI"づくりをお手伝いしています。山梨大学 客員研究員として Physical AI (実世界と AI をつなぐ技術) の研究にも取り組んでいます。今回の Builders' Fair では、そんな "実世界で動く AI" をデモとして形にしました。
最近は、自作サブウーファー作りに挑戦しました。
久米 大雅
アマゾンウェブサービスジャパン合同会社
プロフェッショナルサービス本部 AI/ML コンサルタント
2025 年 4 月に入社しました。普段はお客様向けの生成 AI アプリケーション開発や AI 基盤設計に加え、アカデミアの研究者の方々とともに医学データの解析や解析環境づくりにも携わっています。大学院時代にエッジ AI の研究をしていた背景から、直近では Physical AI 領域にも取り組んでいます。
伊藤 健史
アマゾンウェブサービスジャパン合同会社
プロフェッショナルサービス本部 MLエンジニア
エンタープライズ向け AI 基盤・エージェント基盤の企画構想・設計・実装を通して、お客様の社員一人ひとりが AI を使いこなし、企業全体の生産性を向上させる取り組みをお手伝いしています。大学院時代にロボット工学を専攻していた経験を活かして、最近は Physical AI の社会実装に取り組み始めています。
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久米大雅, 澤田友哉, 牧梨乃, 髙木 ニコール美羽, 岩崎安里, 伊藤健史