Amazon Web Services ブログ
AWS ブログの 15 年間
私(Jeff Barr: AWSのチーフエバンジェリスト)がこのブログに初めて投稿したのは(Welcome)、ちょうど 15 年前の今日のことになります。そのとき記した紹介の言葉のために、私のキャリアがこれほど新しくて常に変化する世界に入り込むことになるとは全く考えていなかったと言っても、今なら大丈夫でしょう。それから、このブログがどのように存在することになったかについての物語、私が気に入っている投稿のいくつか、執筆してブログに投稿するために実際に行っていることについてお話しするにもよい頃合いに思えます。
始まりのその前
1999 年前後のこと、私は Microsoft の Visual Basic チームの一員でした。XML が産声を上げたばかりで、Dave Winer が RSS について話し始めた頃です。VB6、XML、そして RSS が出会う交差点は私の好奇心を刺激し、私は片手間のプロジェクトとして Headline Viewer という小さなアプリを作り上げました。それをダウンロードできるようにしておいたところ、みんなはそれを気に入り、コンテンツの所有者は自分の RSS を含めてくれるよう私のところに送ってくるようになりました。フィードのリストは独り歩きを始め、みんなはアプリを欲しがると同じほどリストも欲しがりました。私もまた、サーバーのメルトダウンのため初期の自分の実体とでも言うべきものを失った後、その頃について記す 3 番目の個人ブログを始めました。
Aaron Swartz や他のみんなの激励により、私は Headline Viewer に手をかけるのをやめて、2001 年の末頃、フィードを集め、整理し、共有する Syndic8 立ち上げました。余暇を使って約 90,000 行の PHP コードを書きました。50 以上のテーブルを含む、非常に複雑な MySQL サーバーを中心としたものです。私はデータベースのホスティング、スケーリング、セキュリティ、そして管理について学びました。このサイトには、非常に広い範囲のクエリと更新操作をサポートする、XML-RPC ウェブサービスインターフェイスがありました。フィードのコレクションは最初の二、三年のうちに、ほぼ 250,000 のフィードを含むまでに成長しました。
そのときには気づいていなかったのですが、私の初期の XML、RSS、ブログ、ウェブサービスに関する経験は、やがてアマゾンに就職を申し込む時には、私を目立たせるほどのスキルとなっていました。ときには、私たちの趣味や個人的な関心が、ついにはキャリアを変えさせるほどの資産や特殊能力となることもあるのです。
E コマースとウェブサービス
このようなことと並行して、私は 2000 年に Microsoft を退職し、当時は新しかったウェブサービスのコンサルティングを始めました。その当時、使われていたほとんどのウェブサービスは、キュートなデモ、株価情報、天気予報、通貨の変換以外の何者でもありませんでした。技術者なら、インターネットを行き交っていた関数コールを見て驚嘆したでしょうが、投資家は肩をすくめて通り過ぎるだけだったでしょう。
2002 年の中頃、私はアマゾンのまさに最初のウェブサービスについて知るようになりました。今では Product Advertising API と呼ばれているものです)。私の目には初めての役に立つウェブサービスであると映りました。それは、ローカルでは行えない、トリビアルではない事を成し遂げており、供給者と消費者の両方に対して価値を与えていました。私は SDK をダウンロードし(後には右の写真のミニ CD として入手可能になったものです)、開発者になにがしかのフィードバックを送りました。そして会場がアマゾンの本部であるとは知らずに、4,5 名のサービスのファンと一緒になって、丸一日のスペシャルイベントに出かけました。いくつかのチームが当時のプランについて教えてくれて、私たちに率直なフィードバックを求めました。
その日のある時点で、プレゼンターの 1 人が、「私たちはつい 24 時間ほど前に、アプリの構築と共有を行える、初めてのサービスを立ち上げました。開発者たちもそれを見つけています。私たちは会社での状況を確かめ、ウェブサービスのインターフェイスをビジネスの他の部分にも広げられるかを確認します」。
天啓のような瞬間でした。開発者が Amazon.com にアクセスできるようになるのです。 私は Sarah Bryar に向かい(彼女がイベントへの招待を差し伸べてくれたのです)、私も是非とも参加したいと言いました。彼女がそうなるように計らってくれたため、数週間後(2002 年の夏)、私は Larry Hughes の部下としてレポートを提出する、Amazon アソシエイツチームの開発マネージャーとなっていました。アソシエイツプログラムのメンバーのそれぞれについて毎日レポートを作成するチームを運営することに加えて、Larry は私に、誕生しようとしているウェブサービスの手助けをする自由を与えてくれました。私はサンプルプログラムを書き、フォーラムで助けを与え、コードベースに貢献することさえしました。アマゾンの通常のインタビューループを巡回し、ホワイトボードに文字列処理のコードを書かなければなりませんでした。
ウェブサービスエバンジェリスト
職務に就いて 2,3 か月ほどしてから、Sarah と Rob Frederick が私のところにやってきて、カンファレンスで話をしてくれないかと頼みました。誰もやりたがらないから、と言うのです。私はむしろ、大歓迎でした。数ヶ月のうちに、Sarah が私を「ウェブサービスエバンジェリスト」の地位に就けてくれました。私のスキルにはこれ以上ないほどマッチしていました。私は直ちにその職務に没頭し、開発者、会社、学校、あるいは私の話を聞きたいというイベントなら何でも予約しました。
2003 年の末に、私は Jeff Bezos の家でのブレーンストーミングセッションに参加しました。Jeff、Andy Jassy、Al Vermeulen、私、そしてあと何人かの人々(ちゃんとメモを取っておけばよかったのですが)が一日を費やし、後ほど EC2、S3、RDS などに発展したアイディアの長いリストに取り組みました。これが How AWS Came to Be で説明したセッションに違いないと思うのですが、100% 確実というわけでもありません。
このリストを出発点として、Andy はAWS のビジネスを定義するコメントを書き始めました。ホールで彼からドア 2 つ分しか離れていなかったところが自分のオフィスだったことは、かなりの幸運だったと感じています。私は相当な時間を費やし、彼のコメントをレビューして、コメントを加えました(そのコメントがどのようにビジネスを定義し、決定を推し進めたかについては、How Jeff Bezos Turned Narrative into Amazon’s Competitive Advantage(Jeff Bezos はどのようにコメントをアマゾンの競争上の長所に変えたのか)を参照してください)。私もまた、開発者リレーションチームのためのプランを定義するものとなった、自分自身の文書をいくらか書きました。
ブログが必要
Andy の最初のコメントの初期の草稿を読み通しながら、私は、自分たちが何か複雑で実体的なものを作っているのだという思いを持つようになりました。
私の開発者リレーションプランにはブログが含まれており、特にそのために開いた Andy および Drew Herdener との何回ものミーティングで、非常に長い時間を議論に費やしました。このブログはどのように見えるはずか、そしてコンテンツの生成と承認という観点からどう働くはずかということを正確に定義するのが非常に難しかったということを覚えています。私が何かについて基本的な答えを出すと、Andy と Drew は、アマゾンのやり方に従い、さらに多くの質問を浴びせかけるのです! 最終的に私たちは、トーンとレビューに関するグラウンドルールを定め、私は進みたくてうずうずしていました。
私はかなり幸運なことに、第 2 回の Foo Camp に、Jeff Bezos のテクニカルアドバイザーとして同行するよう頼まれました。他の多くの人の中に Ben と Mena Trott(Six Apart)がいて、彼らのブログ用ツールである TypePad の 1000 日分の無料クーポンをくれました。
ブログがある
そのクーポンを有効利用させてもらうことにして、私はシアトルに戻り、その年のうちに、AWS ブログ(後に AWS News Blog と改名)の最初の 2 つの投稿、(Welcome と Browse Node API、「ようこそ」と「ノード API をブラウズ」)を書きました。この最初の 2 つの投稿が、私のキャリアを変えてしまうとは想像もつきませんでした。
最初のうちは能動態や受動態に苦労しました。そして自分が会社、グループ、サービス、それとも単に自分自身として書いているのかを決めかねました。いくらかの実験の後、人称代名詞を使い、第一人称を使うスタイルがベストであることを感じ、そのように落ち着きました。
最初の頃は、ブログチームとの協力はあまりありませんでした。受信箱の中に興味深いトピックがあると、それについて自分の見たとおりに、書いたものです。トピックの選択については信じられないほどの自由が与えられていたので、私は強く、正確なコミュニケーターであるべく最善を尽くしました。一方、様々な議論からは離れていました。それは単に、Amazon PR の私の同僚にいっそう多くの労力を強いるものとなるからです。
AWS のローンチ
Andy はチームの構成を始め、私は最初のローンチのための準備を始めました。私たちは劇的なファンファーレを鳴らし、クラウドサービスの幅広いラインナップを紹介して、世界を変化させようとしていることを宣言することもできたでしょう。しかし、そうはしませんでした。事実を順を追って伝えていく方法で満足していたのです。私たちの初期の努力をJeff Bezos の危険な賭として描いた Business Week の記事を見たときには、確かにいくらか当惑しました。しかし、私たちはそれまでの努力が正当に評価されないことや、さらには誤解されることには慣れていました。
私が最初期の AWS のサービスと機能について書いた投稿には、次のようなものがあります。
SQS – 私はなぜか、Amazon Simple Queue Service (SQS)の最初のベータについて書くのを忘れていました。投稿内での最初の言及は、Queue Scratchpad と題するものです。AWS Zoneは、長い間アマゾンのユーザーであった Elena Dykhno が(アマゾンに入社する前にもう)立てていたサイトです。 私は、Simple Queue Service Beta 2 についての投稿もなんとか書き上げました。この時点で、多くの人々が、書店がメッセージキューを販売しようとしているのはなぜだろうと思ったに違いありません。しかし、不必要に詳しく説明したり、プランを薄々感づかせるままにしたりする必要があるとは思いませんでした。
S3 – Amazon S3 についての最初の投稿は、飛行機を捕まえようと急いでいるときに書きました。それでも、基本的な点はすべて収めることができました。サービスの概要、主要な用語の定義、料金、そしてクールなアプリを作るようにとの開発者への招待です。
EC2 – EC2 は、ずっと長いこと「立ち上げるだけ」と言われていました。しかし私は立ち上げが大仕事であると知っていました。私はすでに、スケーラブルなオンデマンドのウェブサービスについてのトピックを、Sometimes You Need Just a Little…(ときにはちょっとした…が必要)で小出しにしてきましたし、実際に EC2 について書く用意ができていました。もちろん、ずいぶん前から計画していた家族旅行がたまたまローンチと重なったため、私は Amazon EC2 Beta の投稿の一部をメキシコのカボサンルーカスのプールサイドに座って書くことになりました。 投稿はパーフェクトでしたが、おそらくは、「AMI」は発音すべきであり、一部の賢者たちが主張するように綴りで読んだりするべきではないことを、明確にしておくべきだったでしょう。
EBS – 最初、EC2 インスタンス上のすべてのストレージはエフェメラルであり、インスタンスがシャットダウンすると失われるはずのものでした。これも言って大丈夫だと思うのですが、EBS (Amazon EBS (Elastic Block Store) – Bring Us Your Data (Amazon エラスチックブロックストア – データを預けてください)) の立ち上げは、EC2 の使用方法を非常に単純なものにしました。
これらは私の初期の投稿の一部ですが、確かにその後に続くものの基礎を据えました。私は今でも、クラウドの黎明期に思いをはせながら、これらの投稿を読むのを楽しみにしています。
AWS ブログの今日
年月とともに、私の時間のうちブログに割かれる部分は増してきており、現在では約 80% に達しました。そのため、いくらかの会話、顧客との会合、そしてこの驚嘆すべき、成長を続ける分野に留まるために自分自身が行うべきことを行う時間は、わずかしか残っていません。私は、顧客の声を聞き、そのニーズを満たせるようにサービスを改良して対応するためベストを尽くして懸命に働いている、AWS サービスチームとともに働ける機会を心から喜んでいます。
私たちは今強いチームとなっており、それと同じほど強力な製作プロセスをブログの投稿のために持っています。チームは投稿をリクエストする際にまずチケットを作成し、自分たちの PRFAQ(プレスリリース + FAQ の意味で、別のタイプのアマゾン文書)を添付して、ブロガーには自分たちのサービスに早い時点から内部アクセスが行えるようにします。私たちは資料をレビューし、厳しい質問を投げかけ、サービスを使用して、投稿のドラフトを作成します。ドラフトは内部的に共有し、読んでフィードバックを送り、公開の青信号が出るのを熱心に待ちます。
投稿の計画と執筆
すでに 3,100 回分の投稿を胃袋に収めた者として(途中のものも入れるとさらに多いのですが)、投稿を計画し、書き記すときに注意している事柄を披露しましょう。
学び、好奇心を持つ – これは Amazon のリーダーシップの原則です。自分の言いたいことを理解してしまえば、書くことは容易です。私はそれぞれの PRFAQ をよく研究し、厳しい質問を行いますが、一見明らかな事柄をまだ把握していないと認めることを恐れたりもしません。何度も何度も、私は自分が理解したり吸収したりするのが絶対無理だと思える限界の淵に立たされましたが、それでも試してみることはやめませんでした。
正確さ – 私は真実を陰の中に追いやったり、何かを公言する際に幾通りにでも解釈できる言葉を使って意味を濁したりすることはしません。インターネットはファクトチェックを行うための究極のツールであり、私は間違っているとされることは望みません。何かを認めること、そして問題を正すことは、私にとって幸福以上のものです。
読みやすさ – 私の語彙はかなり豊富な方ですが、すべてを使う必要は感じません。長くて曖昧な言葉を使うよりも、最も適切な言葉を使いたいものです。略語や会社の仲間内の言葉を使うことも警戒しており、テラバイトとテビバイト(うー)もちゃんと区別します。
質素さ – これもアマゾンのリーダーシップの原則ですが、これには興味深い応用があります。私は皆さんが忙しいこと、余分の言葉や美文調の文章を必要としていないことを知っています。それで私はかなり努力し、ほとんどの投稿を 700 ワードから 800 ワードに制限しています(この投稿は例外です)。読むよりも、むしろサービスを使用し、何か役立つことを行うために時間を費やしてほしいのです。
いくらかの個人的な考え
まとめる前に、この信じがたい旅路について、2 つの点をお話しましょう…
執筆 – 私は書くのは好きですが、絶対に生まれながらの物書きではありません。実際、ハイスクールの英語の教師は、私に進級するためのぎりぎりの点しか付けてくれず、私がもっとよく書けさえしたら、将来は明るいものとなるだろうに、と言いました。私はフォーマルな英語を身に着けるつけることは諦め、代わりに、本物の物書きが言葉や句読点をどう使うか観察することにしました。そのことが(そして数十年の実践が)、違いを生み出すことになりました。
キャリアパス – ブログの執筆とエバンジェリズムは、私のスキルと関心にぴったりとマッチしましたが、そのことは 40 歳をはるかに超えるまではわかりませんでした。二十何歳だろうが三十何歳だろうが、それどころか四十何歳であろうが、最終的に自分が何者であり、何をしたいのかがわかれば、それで十分なのです。そのことを思いに留め、キャリア全体を通して、新しい通り道と新しい機会にはオープンで柔軟であってください。
Special Thanks – ゆっくりとフルタイムのブロガーとなるまでの何年間にもわたり、私は何トンもの素晴らしいアドバイスと全面的なサポートを多くのマネージャーから受けました: Andy Jassy、Prashant Sridharan、Steve Rabuchin、そして Ariel Kelman です。何年間もかけて、私の著述家としての声とブログのスキルが花開くまで彼らが与えてくれた自由には、本当に感謝しています。 Ana Visneski と Robin Park は、ブログチームを構成して私と他のブロガーをサポートする点で、信じられないほどの仕事をしてくれました。
お読みいただきありがとうございました
それとともに、親愛なる読者であるあなたにも、過去 15 年間にわたって時間を取り、注意を払い、そしてとても親切な言葉をかけてくれたことに感謝します。これほどまでに興味深いテクノロジーをあなたと共有できたことは、生涯にわたる特権でした。
— Jeff;