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物流業界のチャレンジを支えるデータ活用 – Nippon Express の事例から
物流業界を取り巻く環境は、深刻な人手不足や国際紛争、厳しい法規制などにより、ますます複雑で困難な状況になっています。このような厳しい環境の中でも、倉庫スタッフやトラックドライバー、海運・空運に携わる皆様が、社会基盤である物流を支えるために日々懸命に取り組んでおられることに、心から感謝しております。
一方で、現在の物流ビジネスを持続可能なものとするためには、そうした現場の努力に頼るだけではなく、企業全体あるいは社会全体として無駄をなくし効率化を図ることが必要です。特にデータを活用した改善は、物流DXとして総合物流施策大綱でも長年にわたり強く推奨されてきました。このような状況を受けて多くの物流企業がデータ活用を経営戦略の重要項目として位置付けているものの、実態としては有効な施策が打ち出せずにいるケースが多く見受けられます。これは、多くのシステムが存在するがシステム間のデータの連携が進んでいない、データ分析のスキルや経験を持った人材が少ないといった、物流業界全体として共通する課題あるためです。その打開策として専門のソフトウェアを導入したものの、想定ほどには活用が進まず、有用性に疑問を抱えつつも維持運用コストを負担し続けているような企業も少なくありません。
本ブログではそういった課題に悩まれる物流事業担当者向けとして、データ活用の成功モデルとして日本通運株式会社(以下Nippon Express)のデータ分析基盤「NX Data Station」を解説します。同社は既存リソースを最大限に活用しながら、コスト効果の高いデータ分析基盤を構築し、データを基に業務効率化と意思決定の質向上を実現しています。
以下は2025年7月15日に開催された Amazon SageMaker Roadshow でご登壇いただいた、NX情報システム 髙 為彦 様 および キヤノンITソリューションズ 渡邊 哲也 様のセッション内容をもとに記載しています。特に引用元明記の無いスライドは同イベントでの発表からの引用です。
Nippon Express のデータ分析基盤 NX Data Station
日本最大の総合物流企業である Nippon Express(NXグループ)は、2020年の中期経営計画で「データドリブン経営」を掲げ、「NX Data Station」というデータ分析基盤の開発を開始しました。そこで重視されたのが業務部門や従業員一人ひとりが能動的にデータを利活用していく「ボトムアップ型アプローチ」です。
NX Data Stationの特徴は大きく三つあります。第一に、各事業(海運、航空、自動車、鉄道、倉庫)が別々に保持しているデータを横断的に集約できる点です。第二に、システムにないオフサイトデータやSaaSからのダウンロードなど、手持ちのデータも柔軟に取り込める点です。そして第三に、ダッシュボードによる可視化、機械学習による需要予測、生成AIの活用など、総合的なデータ活用環境を提供している点です。
そしてデータ活用の明確なイメージがあるユーザはこれらの機能を組み合わせて自ら創意工夫して利用できる一方、具体的なイメージや経験のないユーザはカタログ化されたデータ一覧や他部門の利用事例を参照できる環境を整備しています。
このようなアーキテクチャ/運用面の工夫により、Nippon Express のような多くの部門が存在する企業の中でも、データが各部門にまたがって定常的に蓄積され、スキルに合わせて自主的に分析/可視化を行える環境が実現されています。
NX Data Stationの具体的な活用事例の一つが、物流業界の2024年問題など労働力不足という社会課題への対応です。24時間稼働の大型倉庫では一日の労働者数が延べ数百人規模になることもあり、繁忙期・閑散期やキャンペーン・新商品販売などの波動に合わせた人員配置が必要です。
この課題に対して、NX Data Station ではWMS(在庫管理システム)からの入出庫データ、キャンペーン情報、天候データなどを組み合わせた需要予測を実施しています。この予測は作業スタッフのスキルを考慮した最適人員配置のために利用されています。倉庫内作業はマテハンによる効率化も進められていますがまだ人手に頼る部分も多く、このようなデータ駆動型の人員計画の最適化は大きな効果を生み出しています。
グローバル物流においては船会社とのスペース確保やレート交渉といった業務が発生します。この際、海外現地法人から収集したデータを集約・加工する必要がありますが、従来はこの作業に約2ヶ月かかっていました。つまり、2ヶ月前の古いデータに基づいて交渉せざるを得ませんでした。
NX Data Stationの構築により、集約したデータはその日のうちにダッシュボードに反映されるようになりました。これにより、交渉へのリードタイムが大幅に短縮され、直近の鮮度の良い客観的データに基づく多角的分析が可能になりました。この改善は、米国関税、中国籍船舶への課税、スエズ運河通行制限など、急な変化が頻発する現代の国際物流において、迅速な対応力の向上に大きく貢献しています。
さらに注目すべきは、業務部門が自らダッシュボードのメンテナンスやデータ組み合わせの改良を行う自走体制が確立されたことです。これはNXグループが目指すデータ活用文化の醸成 NX Data Station の上で着実に進んでいることを示しています。
NX Data Stationの運用では、キヤノンMJグループによる「伴走支援」が重要な役割を担っています。この取り組みはシステム構築にとどまらず、ハンズオンや勉強会を通じた啓蒙活動、最適なサービスの検討、内製化文化の醸成、自立・自走支援など、データ活用文化の定着を目指しています。その成果として、業務部門が自らダッシュボードを管理・活用できる体制が構築され、持続可能なデータドリブン経営の基盤が形成されつつあります。
AWS上での分析環境構築・運用のベストプラクティスとキヤノンMJグループによる伴走支援
ここからは、NX Data Stationのシステム構成とその運用についてみていきます。NX Data Stationでは、AWS 上でのデータレイク環境の構築についてだけでなく、運用もベストプラクティスにそった形で実施されています。
NX Data Station のアーキテクチャでは、データは全て Amazon S3 に蓄積されています。これはAWS上でのデータレイク構築のベストプラクティスに沿ったものです。
全体の構成としては、まずS3 までのデータ転送には Amazon Appflow や AWS Database Migration Service (DMS) を利用しています。データを蓄積した後は AWS Glue によりデータの前処理とカタログ登録を行い、それを Amazon Redshift (DWH) に格納します。可視化や予測としては、AWS Glue DataBrew (ノーコードデータ準備)、 Amazon SageMaker AI (機械学習)、 Amazon Bedrock (生成AI)、 Amazon QuickSight (BI) を活用する構成になっています。
利用している AWS サービスに共通しているのは、マネージドもしくはサーバーレスといった導入・運用の負担が少ないサービスであるという点です。マネージドサービス・サーバーレスサービスの活用は、基本的なAWS活用のベストプラクティスの1つです。
NX Data Station は最初から現在のような充実した構成になっていたわけではありませんでした。上図のように、最初はスモールスタートし、少しづつデータや利用ニーズの拡大に合わせて体制を整備し、新たなニーズに合わせてシステムを成長させるという方法がとられました。
このスモールスタートで利用状況少しづつ成長させる方式は、データ活用が成功しているユーザーに共通した運営のベストプラクティスです。昨今は分析環境に求められる機能やデータは変化が激しいため、事前に将来のニーズを予測したうえで設計することは不可能です。また、組織(ユーザー)側も新技術・新環境に少しづつ慣れ、習熟していく必要があります。そのため、スモールスタートしつつ、徐々に改善していく事が良い手法とされています。
このスモールスタートから段階的に拡張していくという観点でも、 S3をデータレイクとして活用することが良い方法です。AWSの多くのサービスはS3上にあるデータにアクセスする事が容易であるため、S3を中心にすることで、後から多様なサービスを活用することが可能になります。
また、多くのデータ分析関連サービスがサーバーレスで提供されているため、導入の負担が少ないだけでなく、運用面での調整負担も少なくすることが可能です
このようなスモールスタートからの改善の繰り返しを支えているのが、キヤノンMJグループ(キヤノンITS)による伴走支援です。最初に決めた開発要件に合わせて成果物を構築・納品するといった方法ではなく、あくまでデータ活用の主体を Nippon Express 側におきつつ、継続的に側面から支援する方法です。図の中央にある データマネジメント推進チームの中では以下のような活動を行いました。
・データスチュワード:データ活用の現場とシステムの間を取り持ち全体をリード
・データエンジニア:データ活用前の加工部分を技術支援
これらはあくまで伴走であり、主体である機械学習であればAIエンジニア/サイエンティスト、可視化であればBIエンジニア/アナリストが自走できることを目指しています。また、このような活動の中から生まれたニーズに対応するために、システムの継続的な改善も行われてきました。
このような活動の結果を数値でとらえることも重要なポイントです。環境が本当に活用されているのかという事を把握し、そこから次の改善を検討することが可能になるからです。NX Data Station では250以上あるBI (QuickSight)ダッシュボードの利用状況を自動的に収集しています。このデータによると現在、月々のBIダッシュボード参照回数が22,000回以上あります。
このように利用状況を把握したうえで、改善にも務めています。例えば業務の現場から意見をヒアリングしたり、利用が進むようなトレーニングを提供したり、もしくは課題を発見して新技術で対応したりといった形です。
例えば、NX Data Station では現在カタログを SharePoint上のドキュメントで管理しています。このカタログはITシステム連携していないため、IT側の変更の反映が手作業になっていたり、カタログで必要なデータを見つけても、そのデータにアクセス可能にするにはIT側に設定変更を依頼する必要がある等、課題の1つに挙げられています。今後は 次世代の Amazon SageMaker を導入することで、IT側の変更反映の自動化や、データアクセスを可能にするまでの自動化を実施していく予定です。
このようにスモールスタートした後にニーズを吸収しつつ広げていく手法は、上記のようなIT面の改善だけでなく人材育成や組織の連携の改善などにも及んでおり、これはまさにAWS上で分析環境を成長させる上でのベストプラクティスに沿っていると言えるでしょう。
まとめ
本稿では、NX Data Stationの事例を通して、物流業界が抱える課題と、データ活用による解決策について解説いたしました。既存データを最大限に活用しながら、コスト効果の高いデータ分析基盤を構築することで、業務効率化と意思決定の質向上を実現することができました。この成功の要因となったのは、ボトムアップ型のデータ活用アプローチと、AWSのマネージドサービスを活用したシステムの段階的な発展です。
また、データ活用はシステムを導入すればうまくいくというものではないというのも本事例から学べる重要なポイントでしょう。最初からどのような仕組みが必要かを完全に予測することは不可能であり、継続的に改善できるITの仕組みと人員体制にすることが重要です。本事例では、キヤノンMJグループが継続的な「伴走支援」を提供しており、Nippn Express側もパートナーに依頼したままにするのではなく、自グループ内でのデータ活用文化の醸成のための改善を続けており、これが大きな成果につながっています。
著者について
横山 誠:2019年より AWS Japan のソリューションアーキテクトとして、主に物流業のお客様に技術支援を行っています。機械学習を用いた需要予測や最近では生成AIの活用など幅広い領域でお客さまに役立つ情報をご提供しています。以前は通信キャリア様でのアプリケーション開発やデータベース製品のコンサルタントをしていました。今でも日本語よりSQLを書く方が得意です。
下佐粉 昭:2015年より AWS Japan のソリューションアーキテクトとして、主に製造業・金融業のお客様に対し、クラウド活用の技術支援を行ってきました。その後、アナリティクス領域を専門とする部門に異動し、現在はデータレイク・データウェアハウスを専門としてお客様のデータをクラウドで活用することを支援しています。少年時代は 8 Bit パソコンと共に育ったため、その時代の本やアイテムを見かけると、ついつい買ってしまいます。