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AWS Transfer Family でポスト量子ハイブリッド SFTP ファイル転送を実現
本ブログは 2023 年 6 月 13 日に公開された AWS Blog “Post-quantum hybrid SFTP file transfers using AWS Transfer Family” を翻訳したものです。
2025 年 9 月 5 日: AWS Transfer Family は、ポスト量子ハイブリッド鍵交換のサポートを、Kyber から NIST が FIPS 203 で標準化した ML-KEM にアップグレードしました。ML-KEM によるポスト量子鍵交換をサポートする SSH ポリシーは
TransferSecurityPolicy-2025-03とTransferSecurityPolicy-FIPS-2025-03です。これらのポリシーに含まれるポスト量子 SSH 鍵交換方式は、ポスト量子ハイブリッド SSH 鍵交換のドラフト仕様で定義されているmlkem768nistp256-sha256、mlkem1024nistp384-sha384、mlkem768x25519-sha256です。詳細については、「AWS Transfer Family announces ML-KEM quantum-resistant key exchange for SFTP」を参照してください。以下の記事の例で使用されている 2023 年当時の実験的ポリシー (
TransferSecurityPolicy-PQ-SSH-Experimental-2023-04およびTransferSecurityPolicy-PQ-SSH-FIPS-Experimental-2023-04) と SSH メソッド名には、ML-KEM の標準化前バージョンである Kyber が含まれていました。これらのポリシーを使用している SFTP エンドポイントについては、対応する SFTP クライアントがまだ ML-KEM にアップグレードされておらず、引き続き Kyber を使用している場合を除き、TransferSecurityPolicy-2025-03 and TransferSecurityPolicy-FIPS-2025-03に更新してください。
Amazon Web Services (AWS) は、セキュリティ、プライバシー、パフォーマンスを最優先としています。暗号化はプライバシーの重要な要素です。暗号化されたデータを長期にわたって保護するために、AWS はお客様が使用する一般的なトランスポートプロトコルに耐量子鍵交換を導入してきました。本記事では、Secure Shell (SSH) プロトコルにおける Kyber を使用したポスト量子ハイブリッド鍵交換について紹介します。Kyber は、米国国立標準技術研究所 (NIST) が選定した耐量子鍵カプセル化アルゴリズムです。ポスト量子ハイブリッド鍵交換が重要な理由を解説し、AWS のファイル転送サービスである AWS Transfer Family の Secure File Transfer Protocol (SFTP) で使用する方法を紹介します。
SSH でポスト量子ハイブリッド鍵確立を使用する理由
現時点では実用化されていませんが、暗号解読能力を持つ量子コンピュータ (CRQC) が実現すれば、現在使用されている標準的な公開鍵アルゴリズムを理論的に破ることが可能になります。現在のネットワークトラフィックを記録しておき、将来 CRQC で復号するという脅威も想定されます。これは harvest-now-decrypt-later (今収集して後で復号する攻撃) と呼ばれています。
こうした懸念を踏まえ、米国議会は Quantum Computing Cybersecurity Preparedness Act に署名し、ホワイトハウスは耐量子暗号への適切かつ公平な移行に備えるための国家安全保障覚書 (NSM-8、NSM-10) を発行しました。米国国家安全保障局 (NSA) も CNSA 2.0 リリースで耐量子アルゴリズムの要件とタイムラインを公表しています。カナダ、ドイツ、フランスをはじめとする多くの政府や、ISO/IEC、IEEE などの標準化団体も、耐量子暗号技術への備えと実証を優先的に進めています。
AWS はポスト量子暗号への移行を積極的に推進しています。AWS Key Management Service (AWS KMS)、AWS Certificate Manager (ACM)、AWS Secrets Manager の TLS エンドポイントでは、楕円曲線 Diffie-Hellman (ECDH) と Kyber を使用したポスト量子ハイブリッド鍵確立が既にサポートされています。Kyber は、NIST のポスト量子暗号 (PQC) プロジェクトで選定された鍵カプセル化メカニズム (KEM) です。ポスト量子ハイブリッド TLS 1.3 鍵交換は大きな注目を集めていますが、SSH に関する取り組みはこれまで限定的でした。
SSH は、マシン間のファイル転送から Amazon Elastic Compute Cloud (Amazon EC2) インスタンスの管理まで、AWS のお客様に幅広く使用されているプロトコルです。SSH プロトコルの重要性、広範な利用状況、転送されるデータの性質を考慮し、AWS は SSH にも Kyber を使用したポスト量子ハイブリッド鍵交換を導入しました。
Transfer Family SFTP におけるポスト量子ハイブリッド鍵交換の仕組み
AWS は、2023 年 6 月にAWS Transfer Family の SFTP ファイル転送におけるポスト量子鍵交換のサポートを発表しました。Transfer Family は、SFTP やその他のプロトコルを使用して、AWS Storage サービスへの企業間ファイル転送を安全にスケールするサービスです。SFTP は SSH 上で動作する File Transfer Protocol (FTP) のセキュアバージョンです。Transfer Family がポスト量子鍵交換をサポートすることで、SFTP 経由のデータ転送のセキュリティが向上します。
SSH におけるポスト量子ハイブリッド鍵確立では、ポスト量子 KEM を従来の鍵交換と組み合わせて使用します。クライアントとサーバーは引き続き ECDH 鍵交換を行います。さらに、サーバーはクライアントが SSH 鍵交換メッセージで提示したポスト量子 KEM 公開鍵を用いて、ポスト量子共有シークレットをカプセル化します。この方式は、従来の鍵交換の高い信頼性とポスト量子鍵交換によるセキュリティを組み合わせたもので、ECDH またはポスト量子共有シークレットのどちらか一方が安全である限り、ハンドシェイクは保護されます。
具体的には、Transfer Family のポスト量子ハイブリッド鍵交換 SFTP サポートは、ポスト量子 Kyber-512、Kyber-768、Kyber-1024 と、ECDH (楕円曲線 P256、P384、P521、Curve25519) を組み合わせた方式に対応しています。対応する SSH 鍵交換方式は、ecdh-nistp256-kyber-512r3-sha256-d00@openquantumsafe.org、ecdh-nistp384-kyber-768r3-sha384-d00@openquantumsafe.org、ecdh-nistp521-kyber-1024r3-sha512-d00@openquantumsafe.org、および x25519-kyber-512r3-sha256-d00@amazon.com で、ポスト量子ハイブリッド SSH 鍵交換のドラフト仕様で定義されています。
Kyber を採用した理由
AWS は標準化された相互運用可能なアルゴリズムのサポートに取り組んでおり、SSH には Kyber を導入しました。Kyber は、NIST のポスト量子暗号 (PQC) プロジェクトで標準化の対象として選定されたアルゴリズムです。複数の標準化団体が、既にさまざまなプロトコルへの Kyber の統合を進めています。
また、AWS は相互運用性の促進にも取り組んでおり、SSH 向けに Kyber と NIST 標準の楕円曲線 (P256 など) を組み合わせたドラフト仕様を策定・公開し、標準化に向けて提出しました。SFTP および SSH におけるポスト量子鍵交換の AWS 実装は、お客様のセキュリティ強化のため、このドラフト仕様に準拠しています。
相互運用性
新しい鍵交換方式 (ecdh-nistp256-kyber-512r3-sha256-d00@openquantumsafe.org、ecdh-nistp384-kyber-768r3-sha384-d00@openquantumsafe.org、ecdh-nistp521-kyber-1024r3-sha512-d00@openquantumsafe.org、および x25519-kyber-512r3-sha256-d00@amazon.com) は、Transfer Family の 2 つの新しいセキュリティポリシーでサポートされています。これらの方式名やポリシーは、ドラフト仕様の標準化の進展や NIST による Kyber アルゴリズムの正式承認に伴い、変更される可能性があります。
ポスト量子ハイブリッド SSH 鍵交換と FIPS 140 などの暗号要件への適合性
FIPS 準拠が必要なお客様向けに、Transfer Family ではオープンソース暗号ライブラリである AWS-LC を使用して SSH の FIPS 暗号を提供しています。Transfer Family の TransferSecurityPolicy-PQ-SSH-FIPS-Experimental-2023-04 ポリシーでサポートされるポスト量子ハイブリッド鍵交換方式は、SP 800-56Cr2 (section 2) に記載のとおり、引き続き FIPS 要件を満たしています。ドイツ連邦情報セキュリティ庁 (BSI) やフランス国家情報システムセキュリティ庁 (ANSSI) も、このようなポスト量子ハイブリッド鍵交換方式を推奨しています。
Transfer Family でポスト量子 SFTP をテストする方法
Transfer Family でポスト量子ハイブリッド SFTP を有効にするには、SFTP 対応エンドポイントに、ポスト量子ハイブリッド鍵交換をサポートする 2 つのセキュリティポリシーのいずれかを適用する必要があります。セキュリティポリシーは、ドキュメントに記載のとおり、Transfer Family で新しい SFTP サーバーエンドポイントを作成する際に選択できます。また、既存の SFTP エンドポイントの [Cryptographic algorithm options] を編集して変更することもできます。以下の図 1 に、AWS マネジメントコンソールでセキュリティポリシーを更新する画面の例を示します。
図 1: コンソールから Transfer Family エンドポイントにポスト量子ハイブリッドセキュリティポリシーを設定する
Transfer Family でポスト量子鍵交換をサポートするセキュリティポリシー名は、TransferSecurityPolicy-PQ-SSH-Experimental-2023-04 と TransferSecurityPolicy-PQ-SSH-FIPS-Experimental-2023-04 です。Transfer Family のポリシーの詳細については、「Security policies for AWS Transfer Family」を参照してください。
SFTP の Transfer Family エンドポイントで適切なポスト量子セキュリティポリシーを選択したら、前述のドラフト仕様のガイダンスに従い、ポスト量子ハイブリッド鍵交換をサポートする SFTP クライアントを使用して、Transfer Family でのポスト量子 SFTP を検証できます。AWS は、NIST NCCOE Post-Quantum Migration プロジェクトの協力者でもある OQS OpenSSH および wolfSSH の SSH 実装と、Transfer Family のポスト量子ハイブリッド鍵交換 SFTP との相互運用性をテストし、確認しています。
OQS OpenSSH クライアント
OQS OpenSSH は、liboqs を使用して SSH に耐量子暗号を追加する OpenSSH のオープンソースフォークです。liboqs は、耐量子暗号アルゴリズムを実装するオープンソースの C ライブラリです。OQS OpenSSH と liboqs は、いずれも Open Quantum Safe (OQS) プロジェクトの一部です。
OQS OpenSSH を使用して Transfer Family SFTP でポスト量子ハイブリッド鍵交換をテストするには、まずプロジェクトの README の手順に従って OQS OpenSSH をビルドします。次に、以下のコマンドのように、ポスト量子ハイブリッド鍵交換方式を指定して SFTP クライアントを実行し、AWS SFTP エンドポイント (例: s-9999999999999999999.server.transfer.us-west-2.amazonaws.com) に接続します。<user_priv_key_PEM_file> はユーザー認証に使用する SFTP ユーザーの PEM エンコード秘密鍵ファイルに、<username> はユーザー名に置き換えてください。また、SFTP 対応エンドポイントは Transfer Family で作成したものに更新してください。
wolfSSH クライアント
wolfSSH は、暗号処理に wolfCrypt を使用する SSHv2 クライアントおよびサーバーライブラリです。詳細とダウンロードリンクについては、wolfSSL の製品ライセンス情報を参照してください。
wolfSSH を使用して Transfer Family SFTP でポスト量子ハイブリッド鍵交換をテストするには、まず wolfSSH をビルドします。耐量子暗号アルゴリズムを実装するオープンソースライブラリ liboqs を使用してビルドすると、wolfSSH は自動的に ecdh-nistp256-kyber-512r3-sha256-d00@openquantumsafe.org をネゴシエートします。以下のコマンドのように SFTP クライアントを実行して AWS SFTP サーバーエンドポイントに接続します。<user_priv_key_DER_file> はユーザー認証に使用する SFTP ユーザーの DER エンコード秘密鍵ファイルに、<user_public_key_PEM_file> は対応する SSH ユーザーの PEM 形式公開鍵ファイルに、<username> はユーザー名に置き換えてください。また、SFTP エンドポイント s-9999999999999999999.server.transfer.us-west-2.amazonaws.com は Transfer Family で作成したものに更新してください。
耐量子の将来に向けた移行が進むにつれ、SSH 向けに標準化されたポスト量子ハイブリッド鍵交換をサポートする SFTP および SSH クライアントは今後ますます増えていくと見込まれます。
SFTP でポスト量子ハイブリッド鍵交換を確認する方法
Transfer Family への SFTP 用 SSH 接続でポスト量子ハイブリッド鍵交換が使用されたことを確認するには、クライアントの出力を確認するか、パケットキャプチャを使用します。
OQS OpenSSH クライアント
クライアントの出力 (関連のない情報は省略) は以下のようになります。
この出力から、ポスト量子ハイブリッド方式 ecdh-nistp384-kyber-768r3-sha384-d00@openquantumsafe.org を使用した鍵交換のネゴシエーションが行われ、SFTP セッションが正常に確立されたことがわかります。
ネゴシエートされたポスト量子ハイブリッド鍵をさらに確認するには、Wireshark などのネットワークトラフィック分析ツールでパケットキャプチャを使用します。クライアントが提案する鍵交換方式のネゴシエーションは以下のように表示されます。
図 2: Wireshark でクライアントが提案するポスト量子ハイブリッド鍵交換方式を確認する
図 2 は、クライアントがポスト量子ハイブリッド鍵交換方式 ecdh-nistp384-kyber-768r3-sha384-d00@openquantumsafe.org を提案していることを示しています。Transfer Family SFTP サーバーは同じ方式をネゴシエートし、クライアントはポスト量子ハイブリッド公開鍵を提案します。
図 3: クライアントの ECDH P384 および Kyber-768 公開鍵を確認する
図 3 に示すように、クライアントはポスト量子ハイブリッド公開鍵として 1,281 バイトを送信しています。これは、ECDH P384 の 92 バイトの公開鍵、1,184 バイトの Kyber-768 公開鍵、および 5 バイトのパディングで構成されています。サーバーのレスポンスも同様のサイズで、92 バイトの P384 公開鍵と 1,088 バイトの Kyber-768 暗号文が含まれています。
wolfSSH クライアント
クライアントの出力 (関連のない情報は省略) は以下のようになります。
この出力から、クライアントがポスト量子ハイブリッド方式 ecdh-nistp256-kyber-512r3-sha256-d00@openquantumsafe.org をネゴシエートし、耐量子 SFTP セッションが正常に確立されたことがわかります。このセッションのパケットキャプチャは前述のものとほぼ同様です。
まとめ
本記事では、ポスト量子暗号への移行と、標準化されたアルゴリズムおよびプロトコルの採用が重要な理由を紹介しました。また、SSH にポスト量子ハイブリッド鍵交換を導入する AWS のアプローチと、Transfer Family の SFTP での利用方法についても説明しました。AWS は暗号技術の専門家と協力して、ポスト量子ハイブリッド SSH 鍵交換のドラフトを策定しています。Transfer Family はこのドラフト仕様に準拠しています。
Transfer Family でのポスト量子鍵交換の使用方法についてご質問がある場合は、Transfer Family for SFTP フォーラムで新しいスレッドを開始してください。AWS のポスト量子暗号について詳しく知りたい場合は、ポスト量子暗号チームにお問い合わせください。
本記事に関するご質問は、AWS Security, Identity, & Compliance re:Post で新しいスレッドを開始するか、AWS サポートまでお問い合わせください。
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