Amazon Web Services ブログ

寄稿:SCRIPTS Asia における生成 AI を活用 した決算説明会等スクリプトの自動翻訳 ~ Amazon Bedrock とナレッジの融合 ~

本稿は、日本取引所グループの SCRIPTS Asia 社による「生成 AI を活用 した決算説明会等スクリプトの自動翻訳」について、サービス開発をリードされた 松田 敬治 様、雪永 スチュアート 様、アーキテクティングと開発をリードされた 太子 智貴 様に寄稿いただきました。

イントロダクション

SCRIPTS Asia は、上場企業の決算説明会や IR イベントの内容をテキスト化し、機関投資家や情報ベンダーに配信しています。従来は、日本語の書き起こしテキストから英語翻訳、成果物の品質確認までをすべて人手で対応していました。しかし、SCRIPTS Asia がカバーする上場企業の全イベントを英訳するには時間及び費用の両面で大きな課題がありました。
今回、AWS の Amazon Bedrock を活用した生成 AI 翻訳を導入し、業務全体の自動化と品質向上を実現しました。

SCRIPTS Asia 社の概要

SCRIPTS Asia は JPX 総研の子会社です。上場企業の決算説明会や IR イベントの音声をテキスト化し、話者情報などのイベント詳細をデータベース化して、機関投資家や金融機関、情報ベンダーに提供しています。併せて、イベントデータの英語翻訳も行っており、グローバル投資家の投資判断や分析に活用されています。このサービスは、単なる技術導入や機械翻訳ではなく、長年の業界知識と翻訳ノウハウを融合した独自の体制によって支えられています。さらに、人力オペレーションによるラストワンマイルの品質保証を組み込むことで、高品質な翻訳やデータ品質の両立を実現しています。

課題

イベントデータの英訳にあたり、SCRIPTS Asia が直面していた主な課題は次のとおりです。

  • 翻訳の作業量は膨大で、コスト負担が大きい
  • 繁忙期には翻訳作業を行う大量の人員が必要(季節要因が激しく、人員確保が困難)
  • 会社固有の専門用語 や業界用語に対応した高い精度での翻訳が求められる

ソリューション

Amazon Bedrock の導入

Amazon Bedrock を活用し、日本語スクリプトの英語翻訳から成果物出力までを自動化しました。導入にあたっては、BERT や BLEU スコアなどの評価指標を用いて、従来の人手での翻訳結果を用いた精度比較を行い、最適なモデルを選定しました。

ナレッジの融合

過去の翻訳履歴や辞書、証券用語集といった形式知に加え、翻訳作業のレビューアーによるフィードバック資料等からプロダクション担当者が持つ暗黙知についても生成 AI で整理しました 。

この整理した知見をプロンプトや辞書情報等に取り込むことで、従来の SCRIPTS Asia のスタイルを維持しつつ、高品質な翻訳が実現できました。

技術的詳細

AWS サービスの活用

プロンプトエンジニアリングとチャンク分割

長文翻訳では、プロンプトの 指示が反映されにくく、数字表現の精度が低下する傾向がありました。精度向上のため、複数の生成 AI モデルを比較し、文章を細かく 1 行ずつに分割(チャンキング)して英訳することで、プロンプトの意図を正確に理解させるように工夫しました。なお、全体的な文章としての適切性を保持するために、前後の文章についても参考して読み込ませることで文意が保たれるようにしております。

コストと精度のバランス

プロンプトの解釈精度向上のためにチャンク分割を実施したことにより、生成 AI への入出力回数が増大し、翻訳辞書等のナレッジを参照した翻訳に係る処理時間と費用面の課題が浮上しました。こちらは単語分割を踏まえつつ辞書情報の組み込み方式を見直すことで、プロンプトのボリュームを圧縮し、処理時間と費用を許容範囲に抑え込みました。

生成 AI を意識した効率的な運用設計

生成AIによる翻訳が難しく、誤訳リスクが高いケース(音声が不明瞭な個所があり、文として成立しない場合など)については、あえて自動翻訳を行わずにエラーとして処理を止め、人手で翻訳するフローに回しています。
こうすることで、「見た目上は訳されているものの、明らかな誤訳」をそのまま出してしまう“クリティカルエラー“を最小化し、英語読者が誤った理解をするリスクを回避しています。
このような翻訳困難ケースは全体の 1 〜 3 %程度に収まるため、あらかじめ“止めるべき条件“として定義して、それ以外の翻訳は自動処理で回せる設計としており、Human-in-the-loop(人手チェック)を最小限に抑えつつ、必要な部分には確実に人の目を入れることで、効率と品質の両立を実現しています。

効果・成果

翻訳品質の大幅向上

SCRIPTS Asia 社の翻訳有識者による相対的な評価で、各種チューニング後の最終的な品質は 90 点以上を達成し、単純な AI の一括翻訳( 45 ~ 50 点評価)から大幅に改善しました。この品質は、生成AIの性能だけでなく、専門知識と人力による品質保証の知見の組み合わせによって支えられています。

作業効率の改善とコスト削減

生成 AI を利用した翻訳により、人手での成果物作成と比較して、時間効率は概ね 10 倍以上、費用効率は概算で数十倍となる、プロダクションアウトプットを実現しました。 この成果により、注目度が低いイベントなど従来はコスト面の問題で英文翻訳が実施出来なかったイベントについても英文スクリプトが作成され、日本語と英語に差が無い環境を整えることができました。結果として、SCRIPTS Asia の品質を確保した英文対応のイベント数が大幅に増加することで、グローバルな投資家ニーズに更に応えられるようになりました。

今後の展望

さらなる生成AI活用の拡大

今回の成功経験を活かし、人手で実施している音声の書き起こし業務についても、生成AIの適用を検討していきます。話者情報の識別など現在の高品質と評価いただいている成果物(テキスト及びデータ構造特性)を踏まえた書き起こしという課題はありますが、この取組みにより、これまで人手不足を要因としてリーチできなかったイベントについても対応可能な範囲が増え、データ拡充を通じて世界中の市場関係者に対する新たな価値創出を目指していきます。

執筆者紹介


(松田 敬治(右)、雪永 スチュアート(左)、太子 智貴(中央))

松田 敬治

(SCRIPTS Asia 株式会社 テクノロジー部長/(株)JPX 総研 IT ビジネス部 パブリッククラウド基盤 統括課長)
東京証券取引所に入所後、市場運営部門を経て、清算機関 (JSCC) 設立時からシステム部門に従事。清算システム構築後、SIer 出向・arrownet 担当を経て、2010 年から株式売買システム arrowhead や CONNEQTOR 等の取引インフラ基盤を開発。2024 年度より SCRIPTS Asia 社システム統括兼 JPX 総研を担当

雪永 スチュアート

(株式会社 JPX 総研 フロンティア戦略部 Manager)
金融、外交、映像制作など多様な分野で経験を積む。取引所入所後は広報業務や 清算機関 (JSCC) の OTC デリバティブの海外コンプライアンスを担い、2025 年より SCRIPTS Asia 社の IT サポートおよび JPX 総研のデータサービス営業を担当

太子 智貴

(株式会社 JPX 総研 IT ビジネス部 JPX 生成 AI プロジェクト 統括課長)
取引所入所後、10年以上にわたり上場審査・市場監視などの中核業務を担い、2019 年に IT 部門へ異動。2023 年から JPX グループにおける社内・社外向けの生成 AI プロジェクトをリードし、数十件に及ぶ生成 AI 関連サービスのリリースを主導