「ロボットの本質はハードにあらず」ロボット開発に挑む元 AI 研究者がソフトウェア開発者に伝えたいこと

2020-03-02
インタビュー

中川友紀子氏
株式会社アールティ 代表取締役社長

人間と同じ空間で働くことができる「サービスロボット」。点検、警備、清掃、受付、搬送など、さまざまな分野で利用が進むなか、これまで困難とされていた領域に挑戦するロボットに注目が集まっています。弁当の盛り付け作業に特化したロボット「Foodly (フードリー)」もそのひとつ。同社の創業者であり 30 年以上にわたり人工知能とロボットの可能性を追求してきた中川友紀子氏に、ロボットの可能性と魅力を伺いました。
(聞き手: AWS RoboMaker 担当/佐藤有紀子)

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※Foodly とは ?
「 Foodly (フードリー)」は、食品コンテナ上に山積みになった食材をディープラーニングによって不定型な食材の集合体であることを認識し、アームを用いて食材をひとつずつ取り出し、弁当箱の適切な場所に盛り付けられる協働人型ロボット。弁当の製造ラインで作業員と隣り合わせになっても安全に稼働できることから、人手不足に悩む製造業者の期待も大きいという。

衝撃的だったマイクロマウスとの出会い

佐藤 有紀子 (以下、佐藤) :
「そもそもどういった経緯で、ロボットエンジニアリングに携わられるようになったのでしょうか ?」

中川 友紀子氏(以下、中川氏):
「18歳の春、大学のサークル勧誘でマイクロマウス競技(※1)に出会ったことがきっかけです。」

佐藤 :
「マイクロマウスのどんなところに惹かれたのですか ?」

中川氏 :
「迷路を疾走する小さなロボットを初めて見て『あっこれだ !』って。一目惚れでしたね。」

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佐藤 :
「以前から、ロボットに関心がおありだったんですか?」

中川氏 :
「そうですね。でも誰の手も借りず自律的に動いてるロボットを見たのはそれが初めてだったので、もうこれしかないって。それですぐにサークルに入会しました。」

佐藤 :
「実際のサークル活動はいかがでした? 現在の活動につながる学びもあったのでは ?」

中川氏 :
「たくさんありましたね。でも一番は『ロボットってすごく難しいんだ』ってことを実感した事だと思います。その思いはいまも変わりありません。」

佐藤 :
「そんなに難しいものだったのですか ?」

中川氏 :
「残念なことに、プログラムがうまく働かなかったり、タイヤやセンサーは動作しても迷路を解けなかったりと、在学中の4年間で思い通りに動くマイクロマウスは最後まで作れませんでした。」

佐藤 :
「そうした失敗のご経験が、その後のご自身の活動に影響を与えた面もあったのでしょうか ?」

中川氏 :
「そうですね。マイクロマウスは人工知能とマイコンを使った実世界チャレンジといえる取り組みです。ロボット作りの難しさを痛感したことと、それ以降も人工知能研究に取り組んだことは決して無関係ではなかったでしょう。そういう意味では大きな影響があったと思います。」

人工知能とロボットの間にあった壁

佐藤 :
「大学院ではどのような研究をなさっていたんですか?」

中川氏 :
「学部時代は自然言語処理について学び、大学院では当時最先端だったファジィ・ニューロを使った画像認識の研究に取り組んでいました。」

佐藤 :
「『ファジィ』といえば、当時エアコンの制御にも使われ流行語にもなりましたが、人工知能の歴史にも山谷があったと聞きます。90 年代はどんな状況だったのでしょうか ?」

中川氏 :
「バーチャルリアリティと人工知能は、だいたい 20 周年周期で波がくるっていわれるんですが、その当時、私が研究していたファジィ・ニューロは、いまのディープラーニングと似たような位置づけでした。」

佐藤 :
「まさに最先端の研究をされていたんですね。」

中川氏 :
「はい。畳み込みニューラルネットワークの基礎となった『ネオコグニトロン』を提唱された福島邦彦先生も、元々はファジィ・ニューロの研究で活躍されていました。当時は将来を嘱望された技術だったんです。」

佐藤 :
「研究にあたってはご苦労もあったのでは ?」

中川氏 :
「そうですね。デジタルカメラも市販されていましたが、とても学生に買えるような値段ではありませんでした。ワークステーションで画像処理をするにしても時間はかかりますし、アルゴリズムもデバイスドライバーも自分で書かないと何もできないという時代です。研究環境を比較すると、いまと当時とでは雲泥の差がありました。」

佐藤 :
「ところで、人工知能による画像処理の研究をなさっていた中川さんの関心が、再びロボット方面に向かわれたのはなぜだったのでしょう ?」

中川氏 :
「当時、私は固定されたカメラで撮影した動画像を使った研究を行っていたのですが、固定カメラだと情報量がとても限られてしまいます。それでカメラを動かしたいと思うようになったことが、研究にロボット技術を取り入れたいと思い始めたきっかけでした。」

佐藤 :
「これ以降は自律ロボットの研究にシフトされたのですか ?」

中川氏 :
「実はそれほどすんなりとはいきませんでした。当時はまだ、研究対象としての人工知能とロボットの間には壁があってなかなか接点がなかったからです。」

佐藤 :
「どういうことでしょう ?」

中川氏 :
「人工知能は、 PC 向けに開発され飛躍的に性能が上がった CPU を利用して、ニューラルネットワークや遺伝的アルゴリズムへと研究が発展していきましたが、ロボットの分野でも、知能化は大きなテーマではあったものの、人工知能ほどの飛躍はありませんでした。マイコンと if / then 文で可能な制御レベルに留まっていたからです。そのため当時は、両者の研究が重なる場面がほとんどありませんでした。」

佐藤 :
「いつくらいから状況が変わったのですか ?」

中川氏 :
「そんな事情もあって、私自身にとってもロボットは長らく趣味の域を出ない存在だったのですが、東工大で助手をしていた頃『ロボカップ(※2)に参加しないか』と誘われたあたりから、徐々に人工知能研究とロボット研究の結びつきが強まっていきました。」

2002 年は日本のロボット史の転換点

佐藤 :
「その後は、ロボットとどのようなかかわりをお持ちになったのですか ?」

中川氏 :
「東工大で助手を経験した後は、科学技術振興事業団 (現・科学技術振興機構) の研究員を経て、2001 年に日本未来科学館に移りました。これを機にロボットのとのかかわり方が大きく変わりました。」

佐藤 :
「日本未来科学館では、 2002 年に始まった二足歩行ロボットによる格闘競技大会『ROBO-ONE (ロボワン)』の開催にも携わっていらしたそうですね。」

中川氏
「はい。そういう意味で申し上げると、2002 年は私にとって非常にエポックメイキングな年でしたね。」

佐藤 :
「と、いいますと ?」

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中川氏 :
「2002 年は、人型ロボット『ASIMO (アシモ)』の商用レンタルが開始された年であり、研究者が中心となって始まったロボカップにヒューマノイドリーグが新設されたのもこの年のことでした。ホビーベースの ROBO-ONE 、商業ベースの ASIMO 、研究ベースのロボカップの三者がそろい踏みしたものですから、とてもエポックメイキング的な年だったと思っているんです。」 

佐藤 :
「この時期に三者そろい踏みしたのには何か理由があるのでしょうか ?」

中川氏 :
「……私が仕掛けたんですよ (笑)」

佐藤 :
「中川さんが三者の橋渡し役を務めていらしたんですね (笑)。」

中川氏 :
「研究者時代、日本未来科学館での出会いを通じて、三者とつながりがあったので、それぞれのグループにキーマンを紹介したり、相談に乗ったり乗ってもらったりしていたところ、結果的にこの年にすべてが動き始めました。」

佐藤 :
「もし、中川さんがそのタイミングで日本未来科学館に行かれなかったら、また違った展開になったかもしれませんね。」

中川氏 :
「そうかもしれません。実際、日本未来科学館に在籍していたことで、人のつながりも増えましたし、研究一辺倒だったら学べなかった貴重な経験をたくさんさせていただいたと思っています。」

佐藤 :
「たとえばどのようなご経験が ?」

中川氏 :
「イベントの進め方やロボットの安全な運用法、また、どうしたら展示内容に関心を持ってもらえるかを考えることを通じて、人間の認知について考察を深めることもできました。」

佐藤 :
「どれもサービスロボットの開発につながるご経験ですね。」

中川氏 :
「そう思います。」

アールティ創業直後には困難な状況を経験

佐藤 :
「その後、創業なさいました。なぜ起業されたのですか ?」

中川氏 :
「教育サービスやコンサルの需要もありそうだし、私が研究していた人工知能を生かせるロボットがたくさん生まれるだろうと踏んだからです。実際、私が創業した 2005 年頃にはたくさんのホビーロボットが登場しました。きっとロボット市場も盛り上がるだろうと見込んで起業したんです。」

佐藤 :
「実際に起業されての感想はいかがでしたか ?」

中川氏 :
「ふたを開けると想定していたよりも市場はまだまだ小さいというのが現実でした。企業から3年後にはリーマンショックもありましから、会社の規模も大きくなったり、小さくなったり。しばらくはジェットコースターに乗っているみたいな状況が続きました。」

佐藤 :
「どうやって困難な状況を打開されたのでしょう ?」

中川氏 :
「2008 年か 2009 年くらいだったと思うのですが、当時、eBay 出身者が立ち上げたロボット開発会社「ウィローガレージ」にいらした日本人エバンジェリストを通じて、OSS の ROS (Robot Operating System) とかかわりを持つようになってから、ビジネスの幅が広がり始めました。当時日本では RT ミドルウェアという、ロボット制御用のソフトウェアモジュール規格が先行していたのですが、行政が深くかかわっていた RT ミドルウェアよりも、オープンなコミュニティが存在する ROS の勢いがつき始めていた時期だったことも関係していたと思います。」

佐藤 :
「こうした流れのなかで、中川さんはどういう役割を果たされたのですか ?」

中川氏 :
「海外製ロボットの輸入販売と教育サポートサービスの提供です。実は Pepper の開発元として知られるアルデバランロボティクス初の販売代理店は私たちだったんですよ。」

佐藤 :
「そうだったんですか ! 先方から『ぜひ日本のロボット事情に詳しい中川さんにお任せしたい』というアプローチがあったんですか ?」

中川氏 :
「むしろ逆で、『これ絶対に売れるから私が売ってあげるから任せて』って (笑)。『この世界のことを理解しているし、日本での売り方も見えているから』といって任せてもらいました。実際、結構売りましたよ。」

佐藤 :
「かなり性能や市場性を精査されて判断されたんですか ? それとも直感で ?」

中川氏 :
「もちろん直感です (笑)」

佐藤 :
「目利きでいらっしゃるんですね。」

中川氏 :
「秋葉原で最初に Arduino を販売したのもうちのショップでしたしね (笑)。開発には枯れた技術も大事ですが、私自身は新しい技術で事を起こすことが大好き。そんな性格が影響しているのかもしれません。」

ほしいロボットがなければ作ればいい

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佐藤 :
「その後、自社でロボット開発に携わるようになられました。そのきっかけを教えてください。」

中川氏 :
「ロボット関連の部品を販売や教育サポートサービスを提供する傍ら、大学や企業の先端研究所から依頼を受けて、ロボットを作るようになったのが最初です。端的にいえば、人工知能を載せやすいロボットが世の中になかったので、自分たちで開発することにしたというのが本当のところです。」

佐藤 :
「それで、まずは教育用ロボットに着手されたわけですね ?」

中川氏 :
「はい。最初からサービスロボットが作れればよかったのですが、市場が不透明なので、まずは目の前のニーズに対応しようと。それで教育用ロボットの開発から始めました。」

佐藤 :
「当初からサービスロボットへの思いを強く持たれていたんですね。機が熟すまで待たれているわけですね ?」

中川氏 :
「ええ。起業した以上、ロボット会社を続ける覚悟はできていましたし、そもそも『ロボットのいる暮らし』を実現したくて作った会社です。ですから、サービスロボット以外にも、パーツを選んで好きなロボットを組み立てられるようにしたいとか、いまでいうクラウドロボティクスを実現したいとか、創業当初からいろいろやりたいことを抱えているんです。」

佐藤 :
「ロボット開発において大切にしていることは何ですか ?」

中川氏 :
「先ほども少し触れましたが、創業以来ずっと『もし AI 開発者がプログラムを書くとしたらこういうロボットがほしいはずだよね』という視点を大切にしながら開発に取り組んでいます。人工知能研究者時代の私を知る人からは、たいてい『中川がハードウェア屋になるとは思わなかった』って言われますが、私からするとアールティは一貫して人工知能屋。なぜなら、人工知能にあったハードウェア作りに取り組んでいるからです。」

佐藤 :
「人工知能に足場を置いたロボット作りをする上で、ご苦労されていることは ?」

中川氏 :
「一番大変なのは調達ですね。ロボットの開発サイクルは、およそ 2 年周期のサイクルなんですが、PC やスマートフォン市場は半年周期です。試作段階で利用していたデジタル系の部品や基板が、生産に入る頃には調達できなくなっていることがよく起こるので、いつも苦労しています。」

佐藤 :
「中川さんのような『目利き』でも、技術選定は難しいんですね。」

中川氏 :
「自動車産業のように一大産業になれば『じゃあ改めて作りましょう』となるんでしょうけれど、ロット数が 100 に満たないことが多いロボットだとそうはいきません。そういう意味ではいまも苦労していますし、自分たちで作れるものは作ろうというスタンスになったのは、そういう事情もあるからともいえますね。」

すべては「ロボットのいる暮らし」を実現するために

佐藤 :
「これからどんなロボット作りに挑戦されますか ?」

中川氏 :
「私たちは、扉よりも大きなロボットを作ったことがないんです。なぜなら、人の隣にロボットがいる暮らしを実現したいから。これについては今後も変えるつもりはありません。」

佐藤 :
「動作中はあぶなくて人間が近寄れないロボットは作らないということですね。」

中川氏 :
「はい。近くにいても安全なロボットが一番だと思っていますから。弁当の盛り付けを行う『Foodly』も、最終的には『ロボットのいる暮らし』を実現するためのマイルストーンという位置づけです。これからも人間とともに働き、暮らせるロボットを追求したいと思っています。」

佐藤 :
2019 年に実施された大型の資金調達も、生活に密着したロボットの開発に貢献しそうですね。」

中川氏 :
「そうですね。2017 年、2019 年に大きな投資を受けて、アールティは第二の創業を迎えました。投資で得た資金は、開発はもちろん、サポート体制や供給体制の拡充にも投資していく予定です。」

いま必要なのはソフトウェア開発者のみなさん

佐藤 :
「今日はいろいろと面白い話を聞かせていただきました。ここで最後の質問です。ロボット開発に興味のある方にメッセージをお願いできますか ?」

中川氏 :
「いまロボット開発の領域でもっとも求められているのは、ゲームやウェブアプリを開発されているソフトウェア開発者のみなさんです。ロボットというとハードウェアの世界のものだと思われる方が大半だと思いますが、実際には、自律型ロボットの 8 割はソフトウェアでできています。アールティには、一般にリアルタイム性が乏しいといわれる JavaScript でも十分制御できる技術基盤もありますし、勇気を出して挑戦してみたら、想像以上に敷居が低いと感じるかもしれません。」

佐藤 :
「中川さんが創業された頃に比べれば、ロボットの開発環境は格段に進歩しました。私たちも AWS RoboMaker などのサービス提供を通じて、ソフトウェアデベロッパーを支援したいと思っています。」

中川氏 :
「人間が自然にできてしまう『名もない作業』をロボットに組み込むには、ソフトウェア開発者の力が欠かせません。AWS さんにもサポートしていただければうれしいです。」

佐藤 :
「そうですね。一緒にロボット業界を盛り上げていければと思います。今日は長い時間ありがとうございました。」

中川氏 :
「こちらこそありがとうございました。」


※1 マイクロマウスはマイコンを搭載し、未知の迷路を自律制御によって走破する時間を競う競技「マイクロマウス競技」用に作られた小型のロボット。日本では1980年から競技会が開催されている

※2 : ロボカップは 1992 年に発足した自律移動型ロボットによる競技会。「西暦 2050 年までに、サッカーの世界チャンピオンチームに勝てる、自律移動のヒューマノイドロボットのチームを作る」という目標を掲げ、人工知能やロボット工学の研究を後押ししている

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プロフィール

中川友紀子氏
株式会社アールティ 代表取締役社長

1971 年東京生まれ。95 年法政大学大学院工学研究科システム工学専攻修了。東京工業大学大学院総合理工学研究科助手、科学技術振興事業団 ERATO 北野共生システムプロジェクト研究員、日本科学未来館展示サブリーダーなどを経て、05 年「ロボットのいるくらしを考える」を掲げアールティを設立。教育用ロボットやサービスロボットの開発に取り組む。

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