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ニューラル機械翻訳サービス DeepL は、いかにして事業を成長させてきたか【CTO Talks】

アマゾン ウェブ サービス ジャパンは 2023 年 5 月 12 日、スタートアップまたは元スタートアップや Web 系サービスの技術経営者(CTO/CIO/CDO/VPoE)を対象に、完全招待制イベント「CTO Talks」を開催しました。今回のイベントでは DeepL 社 CEO / Founder のヤロスワフ・クテロフスキー 氏をお招きし、DeepL 社のこれまでの歩みや事業を成長させるために取り組んできたことなどをご紹介いただきました。

オープニング 〜 CTO Talks を開催する理由〜

イベント冒頭では AWS スタートアップ事業開発部 本部長の畑 浩史が、CTO Talks を開催する理由について解説しました。

これまで AWS は、日本の CTO 支援に積極的に取り組んできました。その一例が 2014 年より年 1 〜 2 回のペースで開催している、技術経営者のための招待制カンファレンス CTO Night & Day です。他にも、CTO 複数名で技術的なディスカッションを行う CTO Roundtable や、創業期のCTO に向けた支援プログラム CTO Dojo なども実施してきました。そうしたプログラムを運営している中で、参加者の方々から「もっと頻繁に他の CTO とコミュニケーションをしたい」というご要望をいただくようになりました。そこで、技術経営者の方々に学びとネットワーキングの場を定期的に提供するために、CTO Talks を今年からスタートしたのです。

アマゾン ウェブ サービス ジャパン スタートアップ事業開発部 本部長 畑 浩史

第 1 回 の CTO Talks は 2023 年 4 月 21 日に、日本最大級の AWS イベント「AWS Summit Tokyo」の併設企画として開催しました。AWS Summit Tokyo Day2 Keynote Speaker のラフール・パサックおよび世界全体のコマーシャル部門でテクノロジー & カスタマーソリューションを統括しているフランチェスカ・ヴァスケスの 2 名が、業務で大切にしていることや組織のリーダーとして向き合ってきたことなどをご紹介しました。

今回は第 2 回の CTO Talks となります。畑は「日本の CTO が国内のネットワークを拡げることはもちろん、海外の CTO や CEO とも交流していただきたい。それによって、新たな気づきや考えの変化があると思います。AWS はそうした機会を創出して、日本のスタートアップを盛り上げ、世界と戦えるような企業を生み出したいという思いで取り組んでいます」と語り、スピーチを終えました。

DeepL 社が事業を急成長させられた理由とは

ここからは DeepL 社 CEO / Founder のヤロスワフ・クテロフスキー 氏が登壇し、同社のこれまでの歩みについて解説しました。DeepL 社の創業は 2017 年です。最初は数人のエンジニアやリサーチャーだけが所属しており、ビジネス職種のメンバーがいない状態からのスタートでした。

自分たちのプロダクトをマーケットに浸透させるため、まずはニューラル機械翻訳サービス「DeepL」の無料版をリリースしました。すると翻訳精度の高さが評判となり、ユーザーが着実に増えていったのです。その間、DeepL 社は自己資本での事業運営を続けました。その後「DeepL」の有料版を発売し、プロダクトをより企業向けに進化させ、「ビジネスソリューションとなり得る翻訳サービス」を目指してきました。

DeepL CEO / Founder ヤロスワフ・クテロフスキー 氏

DeepL 社は事業の初期フェーズでマーケティング予算があまりなく、広報活動にはそれほど注力できませんでした。その代わりに、良いサービスを作ることに集中し、それが結果的に口コミで評判となりサービス拡大につながったのです。「テクノロジーにあまり詳しくない人でも使えるような、利便性の高いサービスを作りましょう。マネタイズはその後から考えればよいのです」とクテロフスキー 氏は会場の方々にアドバイスしました。

また、DeepL 社はサービス開発と並行して、最新技術の研究にも注力してきました。「DeepL という会社の核には、競争力の源であるテクノロジーが存在しています。私たちの競合は名だたるビッグテックです。だからこそ、そうした企業にも負けないように技術力を磨き、サービスの品質を追求する姿勢を貫きたいと思います」とクテロフスキー 氏は力説しました。

事業を着実に成長させた結果、今や「DeepL」の有料版のユーザーは 50 万人以上、登録法人は 2 万社以上、そして従業員数は各拠点の合計で 500 名規模となりました。DeepL 社はドイツに本拠地を置いていますが、今年中に日本支社を開設し、将来的にアメリカ支社を作ることも構想しています。

AI を正しく理解し、リスクマネジメントする

続いて、技術的な観点から DeepL 社の歴史を振り返りました。「AI・ディープラーニングの技術を大々的に用いた翻訳サービスは、2017 年時点ではおそらく DeepL 社が世界初でした」とクテロフスキー 氏は述べます。

当時はディープラーニング関連の OSS も数が少なかったため、同社はほとんどの技術を自社で開発してきました。自分たちでリサーチに取り組みながらモデルを洗練させ、世界最高レベルの精度の AI 翻訳を実現したのです。

クテロフスキー 氏は AI との向き合い方についても解説しました。AI の技術が向上していくにつれて「AI が生み出す価値と、それに伴って発生するリスク」を考える必要があります。AI が進歩すればするほど、比例してリスク発生の確率も高まるのです。

DeepL CEO / Founder ヤロスワフ・クテロフスキー 氏

AI は生き物ではないため、人間ならば誰もが持つような目的意識や道徳観などを身につけることができません。だからこそ、「AI を用いたプロダクトの開発に携わる人間は、それが社会に与える影響について理解する必要があります」とクテロフスキー 氏は述べました。

適切に使用すれば AI は人や企業の助けになります。大切なのは、AI のプラスの面とマイナスの面を正しく理解してリスクマネジメントすることです。とりわけ採用や医療のように、人の人生や生命に影響を与えるような領域では、AI の導入に慎重にならなければなりません。

最後にクテロフスキー 氏は、日本という市場が DeepL 社にとって重要であることや、近いうちに日本拠点を設立して事業展開により一層力を入れることを改めて解説して、セッションを終えました。

Fireside Chat 〜 DeepL 社 創業の経緯〜

ここからは株式会社WiL パートナーの代田 常浩 氏が登場。クテロフスキー 氏がスピーカー、代田 氏がモデレーターを務め Fireside Chat を進行しました。前半パートでは代田 氏がクテロフスキー 氏に質問をし、後半パートでは会場の方々から質問を受け付けました。

代田:まずは DeepL 社の創業経緯からお伺いします。

クテロフスキー:私自身が幼い頃から、ドイツとポーランドの 2 カ国で生きてきました。両親がポーランド出身で、ドイツで生活しつつたまにポーランドに戻る暮らしでした。人生を通して、複数の言語に触れてきたというバックグラウンドがあります。

統計的機械翻訳を用いた既存の翻訳システムの精度がそれほど良くないことに、私は不満を持っていました。そんな折に、2016 〜 17 年ごろディープラーニングが台頭してきたのです。ディープラーニングに関する学術論文も次々に発行されていました。この技術を用いることで、良質な翻訳システムを作れるのではないかと思い、研究開発を始めたのです。

株式会社WiL パートナー 代田 常浩 氏(写真右)

代田:当時から、起業して CEO になることを志していたのでしょうか。

クテロフスキー:私はかつて、事業よりもテクノロジーに関心のある人間でした。学生時代は経営を学んではおらず、理論コンピューターサイエンスで博士号を取得しました。ただ、大学・大学院時代から自分の研究が人間の実生活とのつながりに欠けているという実感があり、どうすれば社会にインパクトを与えられるだろうかと思い悩んでいました。

あるタイミングで「1 人では世界を変えられない。チームを構築して優秀な人材と一緒に働くことが大事だ」と思い至ったのです。そこから、組織を作って経営をするリーダーとしての意識を持つようになりました。

代田:DeepL 社は競合のビッグテックとどうやって戦ってきたのでしょうか。

クテロフスキー:当たり前のことではありますが、優秀な人を雇うことが大事です。加えて、そうした方々に才能をフルに発揮してもらえるような組織作りが重要になります。みんなが生き生きと働ける環境作りに、邁進してきました。

健全な企業文化も大切です。「なぜ、私たちは今ここで一緒に働いているのか」という目的を、社員全員が見失わないようにすること。1 人では実現できないことでも、チームならば叶えられるのだと、これまでの歴史で実感しています。

DeepL CEO / Founder ヤロスワフ・クテロフスキー 氏

Fireside Chat 〜AI は人々の仕事をどのように変えるか〜

代田:会場からの質問を読み上げたいと思います。DeepL は人間味のある自然な翻訳が特徴ですが、その秘訣は何でしょうか。

クテロフスキー:人間を使っているからです。具体的に説明すると、人間が翻訳した文章を用いて AI に学習させており、その結果を人間が評価して AI にフィードバックしています。先ほどのセッションのなかで「創業期はほとんどエンジニアやリサーチャーだけだった」と言いましたが、より正確に言うとそれらの職種に加えて言語のスペシャリストから構成されていました。言語のスペシャリストが自動翻訳の課題を見つけて、すぐにエンジニアやリサーチャーへと伝えているのです。

また、現在では世界中の何千人もの翻訳者とのネットワークがあります。DeepL によるあらゆる言語の翻訳結果を、翻訳者に評価してもらっています。そうした方々の貢献のおかげで、DeepL は高い品質を実現できているのです。

代田:続いて別の会場からの質問を。AI が人間の仕事にインパクトを与える可能性(翻訳者が職を失うなど)はあり得ると思いますか。

クテロフスキー:これまで、各種メディアなどで山ほど受けてきた質問ですね(笑)。特にここ数年は、多くの方が関心を持っているテーマのようです。この質問に対しては、私のなかで明確な答えがあります。少なくとも翻訳の世界においては、人間の翻訳者の仕事を DeepL が代替することはありません。

現在、多くの翻訳者は DeepL を使っているんですよ。実のところ DeepL は、翻訳者の仕事になくてはならないツールとなっています。DeepL が大まかな翻訳をして、人間はその翻訳結果について細かな点を直すだけでいいという感じになっているんです。

そして、この“細かな点を直す”ことが、人間の持つ重要なスキルです。歴史的・文化的な背景をふまえた言葉遣いや単語の微妙なニュアンスの違いなど、人間味のあるところにフォーカスできるのが翻訳者の良さなんですよね。

近年台頭してきた生成 AI についてどれくらい同じことが言えるかは、まだわからない状態です。当然ながら人の仕事に影響を与えるとは思いますし、生成 AI をより使いこなすための新しい職種も出てくると思います。

代田:それでは最後の質問です。今後、DeepL は日本でどのような展開をしようと考えていますか。

クテロフスキー:私たちの事業で、日本は売上が世界第 2 位の市場なんです。日本は他国との言語の壁が存在しており、かつ世界中の国々と強く結びついているからこそ、翻訳が必要とされているのだろうと思っています。

日本に向けてより良質なサービスを提供できるように、ヨーロッパで日本語を理解できる社員を多数雇用してきました。それに、API のドキュメントも英語と日本語の 2 パターンで作成しています。今後、さらに日本の顧客が増えていくに伴い、日本に拠点を持つことは必須だと思っています。それくらい、私たちにとって日本という市場は大切です。

セッション終了後は、登壇者・参加者で記念撮影をしました。

Networking

イベント終盤では、ネットワーキングのためのパーティーを開催しました。会場のみなさまは、和やかな雰囲気で談笑され情報交換を楽しまれていました。

「CTO Talks」のように技術経営者の方々が集まるイベントでは、各セッションの発表内容だけではなく参加者同士の交流も重要です。悩みを相談できるつながりを築いたり、つながりをきっかけとして開発組織を改善するヒントがもらえたりすることもよくあります。


アマゾン ウェブ サービス ジャパンは、今後も技術経営者の方々へのさまざまなセッションやネットワーキング機会を企画していきます。どうぞお楽しみに。